離婚から時間が経てば、少しずつ気持ちは落ち着いていく。
私もそう思っていました。
実際、離婚という決断そのものを後悔しているわけではありません。
自分で考え、自分で選んだ人生だからです。
それでも、子どものことだけは別でした。
家を出てから、もうすぐ9か月。
一度も会っていません。
養育費は今も払い続けています。
それでも、今の自分を「父親」と名乗ることには、どこか違和感があります。
離婚を決意するまでの私は、誰にも負けないくらい子どもを愛し、自分なりに精一杯向き合ってきました。
だからこそ、その後に自分が選んだ決断によって、父親を名乗る資格を失ったように感じています。
それでも、子どものことは毎日思い出します。
どんなに前を向こうとしても、その気持ちだけは変わりません。
離婚が成立し、住宅ローンの手続きもようやく終わりました。
これで、離婚に関するすべてに一区切りがつき、本当の意味で再出発のスタートラインに立てた気がしています。
だからこそ、今の自分の気持ちを残しておきたいと思い、この記事を書くことにしました。
終わりが分かっている時間は、想像以上につらかった
離婚すると決まってから家を出るまでには、少し時間がありました。
その頃には、もう普通の家庭とは言えない状態でした。私自身も、家族としての役割から少しずつ手を引いていました。それでも、「これが最後かもしれない」と思う出来事は何度もありました。
子どもと顔を合わせること。同じ家で過ごすこと。何気ないやり取りをすること。どれも、これで最後になるかもしれない。そう思いながら過ごす時間は、とても苦しいものでした。
子どもは、私が家を出ていくことを理解していました。「パパ、出ていくんでしょ?」と言われたこともあります。受験勉強で叱った時には、「早く出ていって」と言われたこともありました。
子どもは母親の味方でした。私は、それでいいと思っていました。母親を信じ、母親を守れる子に育ってほしい。その気持ちは、今も変わりません。
ただ、その一方で、自分のことを悪く思うようになっていることも伝わってきました。幼い子どもの口から聞くには重すぎる言葉を向けられたこともあります。
でも、そのことを誰かのせいだと思ったことはありません。
そんな言葉を口にしなければならない状況をつくってしまったのは、自分です。
子どもに、子どもらしくいられない時間を過ごさせてしまった。そのことに、今でも強い罪悪感があります。
そして、家を出る日がやってきました。
あの日の数時間、玄関を出るまでの出来事は、今でも鮮明に覚えています。私の人生の中で、決して忘れることのできない一日でした。
その日のことは、また改めて書きたいと思います。
9か月経った今でも、毎日思い出す
家を出てから、もうすぐ9か月になります。
時間が経てば、少しずつ気持ちも落ち着いていくのだろうと思っていました。でも、実際はそうではありませんでした。
仕事をしている時は目の前のことに集中しています。それでも、ふと気が緩んだ瞬間に子どものことを思い出します。
朝起きた時。仕事帰りの車の中。休日に街で親子連れを見かけた時。
何か特別なきっかけがあるわけではありません。ただ自然と、「今ごろ何をしているんだろう」と考えてしまいます。
小学校は楽しいだろうか。
電車通学には慣れただろうか。
友達はできただろうか。
勉強についていけているだろうか。
どれくらい大きくなっただろうか。
答えを知ることはできません。
それでも、気になってしまうことは何ひとつ変わりません。
時々、夢に子どもが出てくることもあります。
目が覚めた瞬間、「夢だったのか」と現実に戻されるあの感覚は、今でも慣れることがありません。
また、子どもが被害に遭うニュースや事故のニュースを見るたびに、胸が締めつけられます。
「私の子は大丈夫だろうか。」
そんなことを考えてしまう自分がいます。
時間が解決してくれるものだと思っていました。
でも、この気持ちだけは、今も変わることはありません。
会いたい。でも、自分からは言えない。
正直に言えば、会いたいです。
子どもの顔を見たいと思うことは、今でも何度もあります。
離婚してから、一度だけ元妻にお願いしたことがあります。
「子どもに、会いたいかどうかだけ聞いてもらえないだろうか。」
返ってきた答えは、「会いたくないと言っている」でした。
本当に子どもに聞いてくれたのかは、今でも分かりません。
公正証書には、「子どもの意思を尊重する」と書かれていました。
当時は、それで十分だと思っていました。
でも実際には、誰が子どもの意思を確認するのか、どのように伝えるのかまでは決まっていませんでした。
あの時初めて、「子どもの意思を尊重する」という言葉だけでは十分ではないのだと実感しました。
この経験から、面会交流についてはできるだけ具体的に話し合い、公正証書にも残しておくことが大切だと感じています。
そして、私は改めて思いました。
やっぱり、自分から「会いたい」と言える立場ではないのだと。
そう思う理由があります。
離婚後、結婚を考えていた相手がいました。
その人は、自分が嫌だから会わないでほしいと言ったわけではありません。
「将来、お父さんが別の家庭を築いたことを知れば、子どもは傷つくかもしれない。だったら、中途半端に会わない方が子どものためかもしれない。」
そんな考えを話してくれました。
私も、その考えは間違っていないと思いました。
だから、自分の意思でその決断を受け入れました。
結果として、その人とは別れることになりました。
それでも、一度自分で決めたことを、自分が寂しいからという理由だけで覆すことはできません。
子どもを巻き込んでしまったのは私です。
会わないと決めたのも私です。
だから、自分の気持ちを楽にするための「会いたい」とは言えません。
今も会いたい気持ちはあります。
それでも、今は自分から連絡しないと決めています。
もし、いつか子どもの方から「会いたい」と言ってくれる日が来るなら、その時は、その気持ちにまっすぐ向き合いたいと思っています。
父親と名乗る資格はないと思っている
離婚したから父親ではなくなった、とは思っていません。
世の中には、離婚をしても子どもと向き合い、親としての役割を果たし続けている人がたくさんいます。
だから、「離婚したから父親ではない」という話ではありません。
私の場合は違います。
私は別の人と人生を歩もうと決めました。
その決断をした時から、家族としての役割から手を引きました。
そして、自分の意思で子どもとは会わないと決めました。
だから、自分には父親と名乗る資格はないと思っています。
養育費は今も払い続けています。
私の離婚までの経緯や、その後の出来事を知っている方からは、「そこまでしなくてもいいのでは」「その状況なら払わなくてもいいのでは」と声をかけていただいたこともありました。
でも、私はそうは思いません。
養育費は元妻のためではありません。
子どものためのお金です。
子どもには、大人の事情は関係ありません。
だから、養育費を払うことは、自分が果たすべき最低限の責任だと思っています。
ただ、養育費を払っているからといって、父親の顔をすることはできません。
今、親としての役割を果たせていない以上、自分には父親と名乗る資格はない。
それが、今の正直な気持ちです。
子どものことは、この先もずっと大切です。
幸せでいてほしいと、心から願っています。
だからこそ、自分が寂しいという理由だけで「会いたい」とは言えません。
ようやく、本当の再出発へ
私は、自分の幸せを選びました。
だからこそ、その選択に責任を持たなければいけないと思っています。
過去は変えられません。
だから今からの人生は、自分の力で少しでもいいものにしていくしかない。
そう思うようになってから、少しずつ前を向き、新しいことに挑戦し、一歩ずつ歩き始めました。
離婚が成立し、住宅ローンの手続きもようやく終わりました。
これで、離婚に関するすべてに一区切りがつき、本当の意味で再出発のスタートラインに立てた気がしています。
人生の最後に、「自分の選んだ人生は間違いではなかった」と思えるように。
そんな日を迎えられるよう、これから前を向いて生きていこうと思います。

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