離婚することが決まってから、半年以上。
私は両親にそのことを言えずにいました。
離婚すること自体を迷っていたわけではありません。
親に伝えることが、ただ怖かったのだと思います。
特に気になっていたのは、子どものことでした。
父は、私の子どもをとても可愛がっていました。
実家へ連れて帰ると、母以上に父の方が嬉しそうにしていた記憶があります。
離婚すれば、おそらく両親も子どもには会えなくなる。
それを伝えたら、きっと悲しむだろう。
そう考えると、なかなか言い出すことができませんでした。
私は昔から、自分のことを親に話すのが苦手だった
もともと私は、自分のことを親にあまり話さないタイプです。
仕事のことも、夫婦関係のことも、自分の気持ちも。
仲が悪いわけではありません。
ただ、自分のことを何でも親に話すような関係ではありませんでした。
だから、
「離婚する」
という話だけでも、私にとってはかなりのエネルギーが必要でした。
しかも今回の離婚は、単純に「夫婦仲が悪くなったから別れる」というだけではありませんでした。
妻との関係に精神的に耐えられなくなっていたこと。
当時、私のことを精神的に支えてくれていた女性がいたこと。
自分自身の精神状態がかなり悪くなっていたこと。
いろいろなことが絡み合っていました。
何をどこまで親に話せばいいのか。
それも分かりませんでした。
一度は実家に泊まったのに、それでも言えなかった
離婚を伝える前、一度だけ一人で実家に泊まったことがあります。
結婚してから、一人で実家に泊まることなんてほとんどありませんでした。
その日は、元妻のおばあちゃんが家に遊びに来る予定があり、私は自宅に戻らず実家へ泊まることにしていました。
せっかく実家に一人で泊まる。
「今日こそ言わなきゃ」
そう思っていました。
でも、結局言えませんでした。
特に「今言おう」と決めた瞬間があったわけではありません。
ただ、ずっと頭のどこかでは、
「言わなきゃ」
と思っていました。
それでも最後まで切り出せないまま、私は実家を後にしました。
後になって母から、
「あのときも何かあるとは思っていた」
というようなことを言われました。
やはり、普段ほとんど帰ってこない私が泊まりに来たことで、何か感じていたのだと思います。
半年以上、言うことを先延ばしにしていた
離婚することが決まってから半年以上。
私はずっと、
「いつかは言わなければいけない」
と思っていました。
それでも後回しにしていました。
言うのが嫌だったというより、言うためのエネルギーがありませんでした。
当時は家庭のことだけではなく、精神的に支えてくれていた女性との関係もうまくいかなくなっていました。
離婚することが決まって半年以上経っているのに、私はまだ親にも話していない。
以前にも、職場の人たちに離婚することを話していなかったことで、その女性を不安にさせていました。
親にすら言っていないことも、
「本当に離婚するつもりなのか」
と不安にさせる理由の一つになっていたと思います。
あるとき、親にはもう話したのかと聞かれました。
私は正直に、
「まだ言っていない」
と答えました。
それが原因の一つになって、また関係が悪くなりました。
今振り返ると、もっと早く言えばよかったと思います。
でも、そのときの私は、それができませんでした。
家庭も、恋愛も、自分自身も限界に近かった
当時の私は、かなり精神的に追い詰められていました。
妻との関係。
数か月後には離れることになる子どものこと。
近づいていた子どもの受験。
精神的に支えてくれていた女性との関係。
どれもうまくいっているとは言えませんでした。
精神科にも通っていました。
大好きだったジムへ行っても、まったく身が入りませんでした。
普段なら筋トレをすれば少し気分が晴れる。
でも、その頃はそれすら難しくなっていました。
そして、
「もう親にも言うしかない」
と思いました。
直接話をしにいく時間も気力もありませんでした。
私は母に電話をしました。
「ちょっと話があるんだけど、俺、離婚することになったんだ」
普段、私は母に普通の連絡すらあまりしません。
だから電話をかけたときも、少しかしこまった入り方だったと思います。
「今日休みだった?」
「今、話しても大丈夫?」
そんなことを聞いてから、
「ちょっと話があるんだけど、俺、離婚することになったんだ」
と伝えました。
冷静に話すつもりでした。
でも、話し始めるとすぐに涙が出てきました。
止まりませんでした。
私は、親に涙を見せるようなタイプではありません。
電話越しであっても、泣いていることを知られるのにはかなり抵抗があります。
それでも、そのときはそんなことを気にしていられないくらい、一気に感情が溢れてきました。
母には、死を考えたことがあることまで話した
私は母に、離婚することだけではなく、自分の精神状態についても話しました。
精神科へ通っていること。
精神的にかなり追い詰められていたこと。
死を考えたことがあること。
そして、そのときに職場の後輩の女性が自分を気にかけてくれて、一緒に食事をしたり、精神的に支えてくれていることも伝えました。
妻との関係については、すべてを話したわけではありません。
仲が悪くなり、自分自身が精神的に耐えられなくなっていた。
そのくらいの話をしました。
そして、
子どもの受験が終わったら家を出ること。
一時的に実家へ戻らせてほしいこと。
そこまで母に話しました。
母は、私を責めなかった
母は比較的落ち着いていました。
泣いている私を、なだめるように話してくれました。
そして、私を責めるようなことはほとんど言いませんでした。
「仕方ない」
というようなことを言い、
とにかく死なないでほしい。
生きていてくれてよかった。
病院にはちゃんと通い続けてほしい。
そんなことを言われました。
当時支えてくれていた女性についても、深く追及されることはありませんでした。
私の面倒を見てくれる人、気にかけてくれる人がいるならよかった。
母はそんなふうに安心していました。
「生きていてくれてよかった」と言われて
私はそれまで、両親は比較的、私に無関心なタイプだと思っていました。
もちろん親子ではあります。
でも、過剰に心配されたり、何でも干渉されたりするような家庭ではありませんでした。
だから、
「生きていてくれてよかった」
と言われたことは、少し意外でもありました。
心配させてしまって申し訳ない。
そう思いました。
でも同時に、
「ああ、ちゃんと気にされていたんだな」
とも思いました。
自分が生きていてほしいと思われている。
それが分かったことで、私の気持ちはかなり楽になりました。
何かが解決したわけではありません。
妻との関係も、子どものことも、精神状態も何も変わっていません。
それでも、
「親に言えた」
というだけで、少し肩の荷が下りました。
それから母から毎日LINEが来るようになった
電話のあと、母は私がちゃんと生きているのか心配だったのだと思います。
毎日のようにLINEが来るようになりました。
正直に言えば、
「毎日はちょっと多いな」
と思うこともありました。
少し鬱陶しいと感じたこともあります。
でも、それだけ心配させてしまったのだと思えば、申し訳ない気持ちもありました。
しばらくすると母も少し安心したのか、毎日だったLINEは徐々に2日に1回くらいになっていきました。
1か月ほどして、今度は父に伝えた
母に話してから1か月ほど経った頃。
私は実家へ帰り、今度は父に自分の口から離婚することを伝えました。
母は最初、
「折を見てお父さんにも話しておく」
と言っていました。
でも、まだ話していなかったようです。
父は、そのとき私の口から初めて離婚することを知りました。
母に話したときよりは、少しだけ気持ちは楽でした。
一度大きなハードルを越えていたからだと思います。
それでも、父に話す方が別の意味で抵抗がありました。
父は母以上に、私の子どもを可愛がっていたからです。
離婚すれば、もう会えなくなる。
それを伝えることが、申し訳なく感じていました。
話している途中、やはり少し涙が出ました。
父も、私を責めなかった
父も母と同じように、私を責めませんでした。
「仕方ない」
というような反応でした。
そして、私が生きていることを心配してくれました。
実家へ戻らせてほしいと話すと、すぐに受け入れてくれました。
そして父は、
「これでまた家族が揃うな」
というようなことを実際に言いました。
結婚して家を出てから、私はほとんど実家へ帰っていませんでした。
年に2、3回帰るかどうか。
子どもが生まれてからも、年に1、2回程度だったと思います。
私は自分が実家へ寄り付かなかったことで、父にも少し寂しい思いをさせていたのだと、そのとき初めて感じました。
父は、私が実家へ戻ってくることを少し嬉しそうにしていました。
私が心配していたのは、子どものことだった
私は父に、子どもとは会えなくなることも伝えました。
父は子どもをとても可愛がっていたので、私はそこを一番心配していました。
でも、父から返ってきた反応は、私が想像していたものとは少し違いました。
一語一句は覚えていません。
ただ、
孫ももちろん可愛い。
でも今は、それ以上に私自身のことが心配だ。
そんな意味のことを言われました。
私はそれまで、父から自分がそこまで大事にされていると感じたことはあまりありませんでした。
だから少し意外でした。
子どもに会えなくなることよりも、まず私が生きていて、家に戻ってくることを気にしてくれている。
そう思うと、安心しました。
また一つ、心の荷が下りた気がしました。
弟にも、その日のうちに話した
私には弟がいます。
弟も実家で暮らしていました。
その日、たまたま弟も家に来たので、離婚することと、自分がまた実家へ戻ってくることを伝えました。
弟とも、もともと深く話をするような関係ではありません。
仲が悪いわけではありません。
でも、何でも相談するような仲のいい兄弟というわけでもありませんでした。
弟は、
「そっか。分かった」
というくらいの反応でした。
私はむしろ、そのくらいでありがたかったです。
弟からすれば、今までいなかった兄がまた家に戻ってくることになります。
子どもにもお年玉をくれたりしていたので、弟にも申し訳ない気持ちはありました。
それでも、特に責められることもなく受け入れてもらえました。
父は、その後の引っ越しも手伝ってくれた
両親に実家へ戻ることを受け入れてもらってから、私は少しずつ自分の荷物を実家へ運ぶようになりました。
そして実際に家を出るときには、父も引っ越しを手伝ってくれました。
「帰ってきていい」
と言葉で言うだけではなく、実際に手を貸してくれました。
私にとって、
「帰る場所がある」
と思えたことは大きかったです。
もっと早く言えばよかった
親に離婚を告げるまで、私は半年以上も悩みました。
親を悲しませると思っていました。
子どもに会えなくなることを伝えれば、特に父は辛いだろうと思っていました。
実家へ戻りたいと言えば、迷惑だと思われるかもしれないとも考えていました。
でも、実際は違いました。
母も父も、私を責めませんでした。
二人が一番心配していたのは、私が離婚することでも、世間体でもありませんでした。
私が生きていることでした。
親に話したからといって、何か問題が解決したわけではありません。
離婚はまだ成立していませんでした。
家を出るのも、まだ半年ほど先でした。
子どものことも、妻とのことも、自分の精神状態も、そのままでした。
それでも、自分の中で少しだけ整理がつきました。
離婚するという現実を、自分だけで抱えている状態から一歩進めたのだと思います。
そして何より、
「帰る場所がある」
ということが分かりました。
今振り返れば、あれだけ悩まずに、もっと早く話せばよかったと思います。
でも当時の私には、それだけのことを親に話すだけでも、大きな覚悟が必要でした。
冷静に話すつもりだったのに、電話をかけてすぐ涙が止まらなくなったあの日。
母から、
「生きていてくれてよかった」
と言われたことは、今でも覚えています。
離婚を伝えた日というより、
自分が思っていた以上に、親から心配されていたことを知った日だったのかもしれません。
あわせて読みたい
離婚に至るまでの経緯については、こちらの記事にまとめています。
そして、実際に離婚を決断した日のことはこちらに書いています。


コメント