生きる気力を失った私が、カウンセリングで出した結論

離婚の記録
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不倫が発覚したあと、私は一度家庭に戻る選択をした。
妻の出した条件を受け入れ、彼女とも別れた。

それで生活は元に戻るのだと思っていた。

けれど、心はまったく整理できていなかった。
彼女ときちんと別れることもできなかった後悔。
もう会えないかもしれないという未練。

家庭に戻れば、また自分を押し殺して生きていくのだろうか。
そんなことばかり考えていた。

食事もあまり取れなくなり、
眠れない日も続いていた。

夜勤の勤務中、私は何度も相談窓口に電話をかけた。
けれど、どこにも繋がらなかった。

夜勤明けで帰宅したあと、
最後にすがるような気持ちで、
有料の電話カウンセリングに電話をかけた。

心が限界に近づいていた

彼女からは、
LINEのやり取りは必ず消しておくように
言われていた。

バレないようにするためだった。

けれど私は、
それがどうしてもできなかった。

彼女との会話は、
どれも楽しかった。

そこには
自分らしさが出ていた。

そんなやり取りを
消してしまうことが、
どうしてもできなかった。

携帯にも
ロックはかけていなかった。

それまでは
妻に対して
「いつでも見ていい」という
スタンスだったからだ。

不倫をしたことは
それまで一度もなかった。

油断もあったのだと思う。

そしてある日、
子どもと風呂に入っている間に
携帯を見られた。

LINEを見られ、
すべてが発覚した。

後で彼女には
「だから消しておけって言ったのに」
と怒られた。

本当に
申し訳ないことをしたと思っている。

不倫が発覚したあと、
私は一度、家庭に戻る選択をした。

妻の出した条件を受け入れる。
そして彼女とは別れる。

その代わり、
彼女には慰謝料を請求しない。

私は慰謝料を払うことになった。

当時の私は、
それを受け入れるしかないと思っていた。

不貞行為があった以上、
立場が弱いのは自分だと
分かっていたからだ。

ただ、
そのとき強く感じていたことがあった。

もともと私は、
夫としてというより
この家庭を回すための役割を担う存在だった。

掃除や片付け。
生活の細かいこと。

そういうことは、
ほとんど私がやっていた。

それでも、
まだ「家族」という感覚はあった。

けれど、
この出来事を境に
その感覚ははっきり変わった。

家庭の中での立場は、
さらに弱くなった。

夫としてではなく、
家族としてでもなく、

この生活を維持するための
ひとつの駒。

そんな感覚が
はっきりと強くなっていった。

それでも私は、
家庭に戻るという選択をした。

それが
自分の責任だと思ったからだ。

ただ、
心の中は
まったく整理できていなかった。

彼女とは、
きちんと別れられたわけでもなかった。

このあと、
自分がどうやって生きていくのか。

そのことを考えると、
胸の奥が
ずっと重かった。

彼女を失った喪失

もともと彼女とは、
二人目の子どもが妊娠するまでの関係と決まっていた。

二人の間で、
そういう約束になっていた。

彼女は、
私の状況をかわいそうに思い、
期間を決めて付き合ってくれていた。

だから、
そう遠くないうちに別れが来ることは
わかっていた。

けれど、
こういう形で終わるとは
思っていなかった。

彼女とは、
きちんとした別れ方ができなかった。

不倫が発覚して、
私は家庭に戻る選択をした。

だから彼女とは、
連絡一つで別れることになった。

それは間違いなく、
自分が選んだことだった。

けれど、
気持ちはまったく整理できていなかった。

後悔も、未練も残ったままだった。

あの時間は、
本当に楽しかった。

あんなふうに
心から楽しいと思える時間は、
これまでの人生で
ほとんどなかった。

彼女といるときだけ、
私は自分らしくいられた。

実は、
不倫が発覚する前から
考えたことがあった。

彼女といると、
自分の人生に
初めて彩りのようなものを
感じていた。

それまでの人生で
同じ感覚があったかと言われると、
正直よくわからない。

少なくとも、
彼女と出会うまでは
そんなふうに感じたことは
なかったと思う。

この人と別れたくない。

そう思ったとき、
離婚という選択肢が
頭に浮かんだこともあった。

家庭に戻ると、
また我慢する生活が始まる。

そう思うと、
胸の奥が重くなった。

そして、
どうしても考えてしまうことがあった。

もし彼女が、
これから誰かと出会って、
その人と幸せになっていくとしたら。

その姿を
自分はどんな気持ちで
見ていくことになるのだろう。

想像するだけで
胸が締めつけられるようだった。

この歳で、
こんなにも強く
失恋の気持ちを味わうとは思っていなかった。   

いや、
単純に失恋なのだろうか。

自分を失ってしまうような
感覚もあった。

それほど、
彼女は自分にとって
大切な人になっていた。

子どもか自分か

離婚という言葉が、
頭の中に浮かぶようになっていた。

それまで私は、
何度も離婚を躊躇してきた。

世間体のこと。
仕事のこと。

いろいろ理由をつけて、
考えないようにしてきた。

けれど、
もうそんなことはどうでもよくなっていた。

問題は、
子どもだった。

離婚をすれば、
子どもとは今までのようには
会えなくなる。

成長をそばで見守ることも、
できなくなるかもしれない。

それは、
どうしても受け入れられないことだった。

この時点では、
まだ「二度と会わない」という決断までは
していなかった。

それでも、
離婚をすれば
父親としての時間は確実に減っていく。

自分を優先したら、
私は子どもを捨てたことになる。

そんな考えが、
何度も頭に浮かんだ。

子どもは、
近くにパパがいなくても
立派に育つのだろうか。

妻が、
私にしてきたような接し方を
子どもにしないだろうか。

そんな不安もあった。

自分を取るのか。
子どもを取るのか。

どちらを選んでも、
納得できる正解はないと思えた。

そしてその頃から、
心と体にも
少しずつ変化が出始めていた。

ここで言う「自分を取る」というのは
彼女と一緒になることを
意味していたわけではない。

離婚したとしても、
彼女が自分を選ぶとは
限らない。

それに、
彼女といたいからという理由で
離婚するつもりはなかった。

離婚は
あくまで自分の問題だから。

私が原因で
離婚させた、家庭を壊したと
彼女に思ってほしくないかったから。

もちろん彼女の気持ちは
分からない。

それでも、
もし離婚するなら
彼女には
自分の気持ちを伝えようと
思っていた。

成功するかどうかは
関係ない。

もし
受け入れてもらえなくても、
それはそれでいい。

いつか
また誰かと出会って、
自分らしく生きていく。

そういう人生の方が
いいのではないか。

それが
このとき私が考えていた
「自分を取る」という意味だった。

生きる気力がなかった

その頃の私は、
生きる気力のようなものが
最初からほとんど残っていなかった。

食事も、
ほとんど喉を通らない。
眠ることもできない。

不倫が発覚した日の夜、
私は一睡もできなかった。

翌朝は、
子どもの受験を考えている学校の見学に
行く予定の日だった。

早朝、
彼女に別れを告げた。

ほとんど寝ていないまま
学校見学に向かったが、
説明を聞いていても
何も頭に入ってこなかった。

その移動中、
これが最後の連絡になると思い、
彼女にLINEを送った。

感謝と謝罪だった。

彼女からは
「きっと私のこと守ってくれたんでしょ」
と返ってきた。

たしかに私は、
彼女に慰謝料がいかないように
なんとかしようとしていた。

そのことは
彼女にも伝えておいた。

彼女は、
そういうことを
言わなくても読み取ってくれる人だった。

そして最後に
彼女はこう言った。

「本当に二人目欲しいの?
 違うなら、これ以上縛られるから
 やめたほうがいいよ」

その言葉は、
自分の人生を見つめ直す
大きなきっかけになった。

そのあと、
妻との約束だったから
今までのLINEはすべて削除した。

消すのは
本当に辛かった。

それから私は、
どんどん痩せていった。

食事が取れないまま
時間だけが過ぎていく。

職場では
彼女の姿が目に入る。

なんとか昼食を食べても
吐いてしまうことがあった。

その様子は
彼女にも気づかれていた。

それだけではなく、
手が震えていることも
見抜かれていた。

職場で彼女に
「大丈夫?」
と本気で心配されたこともあった。

彼女は
本当に優しい人だった。

妻の態度も、
以前より明らかに厳しくなっていた。

「こんな大事な時に不倫して
 いい加減にしろ」

それは
当然の言葉だったと思う。

けれど、
以前よりも
強く罵倒されるようになっていた。

心も体も
もう限界だった。

ある日の朝、
耐えきれなくなり
彼女にLINEを送った。

本当は
連絡しない約束だった。

それでも
「辛い」とだけ送った。

彼女はそれを見て
すぐに声をかけてくれた。

その優しさに、
涙が止まらなかった。

その頃の私は、
彼女を失った苦しさだけではなく、
人生そのものが
崩れていくような感覚の中にいた。

好きだった筋トレも、
まったくやる気が起きない。

子どもの受験勉強を
見なければいけないのに、
頭の中はぐちゃぐちゃで
何も集中できなかった。

そんな状態の中で
ふと思ってしまう。

これから俺は、
何のために生きるのだろう。

不妊治療というタイムリミット

その頃、
二人目の不妊治療は続いていた。

上司には事情を伝え、
時間休をもらうことはできていた。

けれど、
職場の周りには
不妊治療のことは言っていなかった。

成功するかどうかも分からない。
だからこそ、
公にするのは言いづらかった。

そのため、
休む理由は嘘をついていた。

ただでさえ、
自分が抜ければ
周りに迷惑をかけてしまう職場だった。

職業柄、
急な欠員が出ると
誰かが必ず穴を埋めなければいけない。

自分が休めば、
その分
誰かの負担が増える。

もともと
気持ちよく休めるような職場でもなかった。

休むと言うだけで
周りの目が気になる。

そんな中で
何度も理由をつけて
休みを取るのは
正直辛かった。

不妊治療は
一度や二度で終わるものではない。

精子の採取も
受精の日とは別に必要で、
何度も通う必要があった。

だから私は一度、
妻に相談したことがあった。

いっそ
不妊治療だと公にした方が
不自然に休むよりいいのではないかと。

けれど妻は
強く否定した。

「成功するかも分からないことを
 公言するなんて
 人間としてありえない」

そう言われた。

さらに

「そんなこと言うなんて
 私の気持ちが分かってない」

そして最後に
こう言われた。

「夫があなたじゃなければよかったのに」

その言葉は
私にとって
かなり大きなものだった。

もちろん、
成功するかどうか分からないことを
公にしたくないという
妻の気持ちは理解できた。

だからこそ
相談した。

けれど

「人間としてありえない」

「夫があなたじゃなければよかった」

その言葉は
さすがに
言ってはいけないものだと感じた。

その言葉をきっかけに、
私は完全に
妻への気持ちが切れてしまった。

私はそれまで
一度も浮気をしたことがなかった。

けど、二人目ができる前に
誰かと思い出を作りたい。

そう思ってしまった。

それが、
今回の彼女に声をかけた
きっかけだった。

もちろん、
それが正当化されるものではない。

それでも
そう思ってしまった
自分がいた。

そして不倫が発覚したあとも、
不妊治療は続いていた。

嘘をついて
時間を作ることは、
以前よりもずっと辛くなっていた。

そんな状態の中で
精子の採取の日が来た。

正直、
気持ち的に
勃起させることすら辛かった。

生きる気力も
ほとんど残っていないのに。

それでも
やらなければいけない。

私は
泣きながら
精子を出したことを覚えている。

精子は
毎回状態を検査される。

以前、
数値が良くないことがあった。

不倫が発覚したとき、
妻にこう言われた。

「あの時の数字が悪かったのは
 不倫してたからじゃないの?」

そんなふうに
責められたことも思い出した。

そして
もう一つの現実があった。

受精させる日が
すぐそこまで迫っていた。

もし
ここで二人目ができたら。

もう
離婚という選択は
できなくなる。

子どもが二人になって
家庭を離れることは
してはいけない。

責任がある。

それは
どう考えても
そうだった。

けれど
その責任を
今の自分が
本当に果たせるのか。

別れ際に彼女に言われた
言葉も
私の中では大きかった。

私は
本当に二人目の子を
望んでいるのだろうか。

より縛られ、
我慢する生活。

これ以上
自分を捨てることに
耐えられるだろうか。

自分を取るのか。
(今いる)子どもを取るのか。

納得できる答えなどない問いが
頭の中を
ぐるぐる回っていた。

答えが出ないまま
決断は
迫られていた。

「楽になりたい」と思った夜

毎日、
答えの出ない問いが
頭の中を回り続けていた。

彼女への思いも強い。
今いる子どもと離れるのもつらい。
捨てたくはない。

でも、
同じくらい
自分らしくもいたいと
思ってしまった。

それでも、
受験。
不妊治療。

向き合わなければならないものは
たくさんあった。

そのすべてに
力を注ぐことができなかった。

正直、
体もつらかった。

食べられない。
眠れない。
手も震える。

体力的にも
かなり限界だった。

寝れない分、
苦しい時間だけが長く続いた。

そして
ふと、
思うようになった。

いっそのこと
楽になりたい。

死んだら
どうなるのだろう。

子どもは
どう思うだろうか。

両親は
どう思うだろうか。

彼女は
きっと
自分を責めるだろう。

そういうことは
もちろん考えた。

それでも
その気持ちを越えて

楽になりたい

そう思ってしまう自分がいた。

その頃、
私はSNSやネットで
同じような境遇の人を
何度も探していた。

離婚。
不倫。
不倫相手の失恋の乗り越え方。
子どもと離れる。
不仲な中の不妊治療。
時間は解決するのか。

同じような状況の人は
どうやって乗り越えたのか。

何か参考になる話は
ないのか。

何度も検索した。

けれど
自分と同じような状況の話は
ほとんど見つからなかった。

何か
答えが見つかるかもしれないと
思って探していたのに。

どこにも
見つからなかった。

だから私は、
このブログを書くことにした。

あのときの自分のように、
同じ境遇で苦しんでいる人の
参考になればと思ったからだ。

あのときの自分のように、
答えを探している
誰かのために。

それでも、
現実の私は
まだその答えを
見つけられていなかった。

数日、
そんな状態が続いた。

死にたいと、
実際に死に方を
何度か検索した。

そして、
ある夜勤のときだった。

もうダメだ
本当に楽になりたい。

そのとき
ふと思った。

誰かに
一度だけ
話を聞いてもらいたい。

それで
少しでも
気持ちが変わるのか。

それでも
変わらないなら
そのとき決めてもいい。

こんなこと相談できる人は
私にはいなかった。

私は
相談窓口に電話をかけた。

死に方を調べたときに
表示された
相談窓口だった。

何度も
電話した。

けれど混み合っていて
つながらなかった。

他の無料相談も
試した。

それでも
つながらなかった。

世の中にはこんなに
悩んでいる人がいるんだなと思った。

電話カウンセリングで言われたこと

その夜、
何度も相談窓口に電話をかけたが、
どこにもつながらなかった。

それでも、
一度だけでもいいから
誰かに話を聞いてほしいと思った。

そこで私は、
夜勤後に有料の電話カウンセリングに
電話をかけた。

電話がつながり、
これまでのことを話し始めた。

不倫のこと。
家庭のこと。
妻にされてきたこと。
子どものこと。
彼女のこと。
不妊治療のこと。
離婚のこと。

うまく話そうとは思っていなかった。
ただ、頭に浮かぶことを
そのまま言葉にしていった。

話しているうちに、
涙が止まらなくなった。

こんなふうに
誰かに本音を話したのは
いつ以来だったのか分からなかった。

話を聞いたあと、
カウンセラーはこう言った。

「離婚できないなら、逃げた方がいい」

その言葉を聞いたとき、
少しだけ、
自分の中で何かがほどけた気がした。

そして、こう続けた。

「奥さんは、悲しいというより
 コントロールできなくなったことに
 強い不満を持っている状態だと思います」

「あなたは今、
 夫というより
 その家庭を維持するための
 役割として扱われています。
 奥さんが好きに動けるように。」

その指摘は、
自分でもどこかで感じていたことだった。

そして最後に、
こう言われた。

「あなたの人生は、あなたのものです」

「自分を優先してもいいんですよ」

「お子さんを捨てたことにはならないですよ」

「今までよくここまで我慢してこれましたね。
 あなたは優しすぎる」

その言葉を聞いたとき、
はじめて
自分のことを考えてもいいの
かもしれないと
思えた。

相談が終わったあと、
少しだけ、
呼吸がしやすくなった気がした。

ずっとまとまらなかった思考が、
少しだけ整理された。

正解はないと分かっていても、
もともと自分の中では、
もう答えは決まっていたのかもしれない。

そして私は、
その答えから
目をそらさないと決めた。

生きる選択

カウンセリングが終わったあと、
しばらく動けなかった。

頭の中が、
少しだけ静かになっていた。

これまでずっと、
答えが出ない問いを
考え続けていた。

自分を取るのか。
子どもを取るのか。

どちらを選んでも、
間違っている気がしていた。

けれど、
はじめて思った。

自分の人生を、
自分で選んでもいいのかもしれない。

カウンセラーに言われた言葉が、
頭の中に残っていた。

「我慢している父の姿を見て、
 子どもがどう思うか」

そんな姿を見て、
不良になっていく子も多いと。

その言葉は、
今まで自分の中に
なかった視点だった。

「自分のことを大事にするべき。
 子どもを捨てたことにはならない」

その言葉を、
何度も思い返した。

私はこれまで、
ずっと我慢してきた。

家庭のため。
子どものため。

そう思っていた。

けれど、
その我慢の先に
何があるのかは分からなかった。

むしろ、
このままでは
自分が壊れてしまうと思った。

そして、
はっきりと思った。

このままではいけない。

私は、
自分の人生を選ぶことにした。

それは、
子どもを捨てるということではない。

ただ、
自分を殺し続ける生き方を
やめるということだった。

離婚しよう。
生きよう。
自分のために。

そう決めた。

カウンセラーに相談してよかった。

離婚の記録|実体験シリーズ

このブログでは、離婚に至るまでの経緯と、その後の出来事を実体験として記録しています。
時系列で読めるようにシリーズとしてまとめています。

離婚に至るまでの経緯
離婚を躊躇した理由
離婚を決断した日
離婚が決まっても家を出られなかった理由
受験という現実
終わると分かっていた家族の日常
面接をこなすたび削れていく気持ち
子どもと過ごす時間の重さ
同じ家にいる他人
⑩生きる気力を失った私が、カウンセリングで出した結論(この記事)

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