家を出てから初めて、子どもを見かけた日

心のこと

家を出てから、子どもとは一度も会っていません。

この先も、こちらから「会いたい」とは言わない。子どもが望んだ時に考えよう。

以前の記事では、そう書きました。

けれど、その記事を公開した直後、私は偶然、子どもの姿を見かけました。

ほんの一瞬のことでした。

それでも、抑えていた感情が一気にあふれ、自分でも驚くほど大きく心が揺れました。

今回は、子どもを見かけた日のことと、その後に自分が取った行動、そして今感じていることを書こうと思います。

一瞬見かけただけで、心が大きく揺れた

家を出てから約9ヶ月、子どもとは一度も会っていませんでした。

その日はちょうど、「前を向いても、子どものことは毎日思い出す。」という記事を書いたばかりでした。もう会うことはないかもしれない。少なくとも、こちらから「会いたい」とは言わない。そんな自分なりの覚悟を、文章にした直後のことでした。

私は、元妻や子どもの普段の生活圏からは離れたショッピングモールにいました。

歩いている途中、なぜかふと立ち止まりました。本当に理由はありません。

その瞬間、私のすぐ横を子どもが走って通り過ぎていきました。

その後ろを、元妻が追うように歩いていました。

私は二人の進行方向と同じ方を向いていたため、こちらの顔は見えず、存在には気づいていなかったと思います。

最初は、「なんでここに?」という気持ちでした。

でも、見間違えるはずがありません。ずっと会いたいと思っていた子どもです。ほんの一瞬でも、その姿を間違えるとは思えませんでした。後ろを歩いていた元妻も、手に持っていた買い物袋も、私にとっては見慣れたものでした。

もしあの時、偶然立ち止まっていなければ、見かけることはなかったと思います。

そう考えると、本当に偶然でした。

子どもは、以前より大きくなっていました。ほんの一瞬だったので、それ以上のことは分かりません。それでも、元気そうな姿を見られたことには安心しました。

でも、嬉しいという気持ちだけではありませんでした。

会いたい。

もう一度見たい。

声をかけたい。

でも、声をかけてはいけない。

離婚後の面会については、公正証書で子どもの意思を尊重することになっています。私自身も、自分が寂しいから、会いたいからという理由だけで求めてはいけない、子どもが望んだ時に考えようと決めていました。

だから、突然目の前に現れたからといって、自分の気持ちだけで声をかけることはできませんでした。

いろいろな思いが一気に押し寄せてきて、私はその場から動くことができませんでした。

二人はそのままエレベーターの方へ向かっていきました。私はただ、立ち尽くしていました。

少ししてから、「やっぱり、もう一目だけ見たい」と思いました。

気づけば、もう一度見つけられないかと、ショッピングモールの中を一周していました。

でも、歩きながら思いました。

会って、どうするのだろう。

声をかけていいはずがない。

こちらから会いたいとは言わないと、ほんの少し前に自分で書いたばかりでした。

結局、もう一度姿を見ることはなく、そのまま帰ることにしました。

ほんの一瞬、子どもの姿を見ただけでした。

それなのに、自分で文章にしたばかりの覚悟が揺らぐほど、抑えていた感情が一気にあふれてきました。

「もうこちらからは言わない」と決めたのに

そのまま帰ろうとしても、気持ちはなかなか落ち着きませんでした。

声をかけるべきではなかったことは分かっていました。こちらから「会いたい」とは言わない。そう自分で決めたことも分かっていました。

それでも、我慢することができませんでした。

子どもを見かけたあと、私は元妻にLINEを送りました。

「子どもに、私と会いたいか聞いてほしい」

そう伝えました。

自分で決めたことと違う行動をしていることは分かっていました。しかも、「もうこちらからは言わない」と記事に書いたばかりです。

それでも、一度子どもの姿を見てしまったことで、それまで抑えていた「会いたい」という気持ちが一気にあふれてしまいました。

あの時の自分には、子どもが今どう思っているのか、聞かずにはいられなかったのだと思います。

この行動が正しかったのかは、今でも分かりません。

ただ、文章にしたばかりの決意さえ守れなくなるほど、あの一瞬で自分の気持ちが大きく揺れたことだけは事実です。

返ってきたのは、「会いたくない」という言葉だった

その後、元妻から返事がありました。

最初に返ってきたのは、

「やだって」

という短い言葉でした。

そして、すぐにもう一通届きました。

「パパが会いたいって思っても、僕が会いたくないから、二人の気持ちが同じじゃないから会えないんだよ」

そう言っている、と伝えられました。

その言葉を見た時、かなり堪えました。

それまでも、もしかしたらもう会えないのかもしれないと思うことはありました。それでも、実際に「会いたくない」という言葉を目にしたことで、その可能性が一気に現実的なものになったように感じました。

ただ、正直に書けば、本当に子どもに聞いてくれたのか、私には分かりません。

だからといって、元妻が聞いていない、嘘をついていると決めつけることもできません。本当に聞いてくれて、子どもがそう答えたのかもしれません。

今の私には、それを確かめる方法がありません。

そして、考えれば考えるほど、どちらだったとしても苦しいことに気づきました。

もし本当に聞いていなかったのなら、私は子どもの本当の気持ちを知ることができません。

もし本当に子どもがそう言ったのなら、「会いたくない」と思われていることを受け止めなければなりません。

どちらが事実だったとしても、私が楽になれる答えはありませんでした。

一人では整理できず、カウンセリングを受けた

子どもを見かけた後、いろいろな感情が一気に押し寄せてきました。

「もうこちらからは会いたいと言わない」と決めたばかりなのに、それを守れなかったことへの罪悪感。会いたい気持ちを抑えているつもりだったのに、実際に姿を見ただけでこれほど揺れてしまったこと。結局、私は気持ちを整理できていたのではなく、ただ我慢していただけなのだと痛感しました。

元気そうな姿を見られたことは、本当に嬉しかったです。

その一方で、「もし今日、見かけていなかったら」と考えてしまう自分もいました。会えない現実は何も変わらなくても、見かけなければ、少なくともこんなに心をかき乱されることはなかったのかもしれない。でも、それでも元気そうな姿を見られてよかった。その二つの気持ちが、同時にありました。

そして、元妻から返ってきた「会いたくない」という言葉。

自分の決意を守れなかったことへの後悔、会いたい気持ち、子どもを見られた嬉しさ、もう会えないかもしれないという苦しさ。本当に子どもの言葉だったのかという疑問も含めて、いろいろなことが頭の中をぐるぐると回り続けました。

心も体も、一気に消耗したような感覚でした。

その場に立っていることさえ辛くなり、とにかく早く一人になれる場所へ行きたいと思いました。

この気持ちが、誰かに話したからといって解決するものではないことは分かっていました。どんな言葉をかけてもらったとしても、子どもに会えるようになるわけではありません。

それでも、自分の気持ちを言葉にして、否定せずに聞いてもらうだけでも、少し楽になれるのではないかと思いました。

きっと話し始めたら泣く。

そう思ったので、身近な人ではなく、自分のことを知らない人に聞いてもらいたいと思いました。

そこで思い出したのが、以前、離婚を決意する前に生きることさえ辛くなった時、話を聞いてもらったカウンセラーでした。

あの時の自分を知っている人なら、今の気持ちもそのまま話せるかもしれない。

この状態のまま翌日仕事へ行き、いつもと同じ顔をして働ける気がしませんでした。できるだけ早く話を聞いてもらいたくて、その日の夜中に予約を取りました。

ところが、前の相談が長引いていたようで、予約時間になってもカウンセリングは始まらず、結果的にその日はキャンセルになってしまいました。

その日は諦めました。

でも、この気持ちを何日も抱えたままにするのは辛いと思い、翌日の夜にもう一度予約を入れました。

カウンセリングが始まって、私は最初にこう伝えました。

「答えが出るような話ではないことは分かっています。何かを解決してほしいわけでもありません。自分でもどうしてほしくて電話しているのか、うまく言葉にはできません。ただ、今は話を聞いてほしいんだと思います」

実際に話し始めると、予想していた通り、私は大泣きしてしまいました。

それでも、自分の中にあった気持ちを一つずつ言葉にしていきました。うまく整理して話せたわけではありません。それでも、誰かに聞いてもらいながら言葉にすることで、自分自身でも気持ちを整理しようとしていたのだと思います。

カウンセラーからは、「子どもも会いたいと思っているはず」という趣旨のことも言われました。

その言葉に救われた部分はあります。

ただ、それを事実として信じ切ることもできませんでした。カウンセラーにも、子どもの本当の気持ちを知ることはできないからです。

本当は会いたいと思っているのか。

今は本当に会いたくないのか。

私には分かりません。

そして、最初からその答えが出るとは思っていませんでした。

それでも、大泣きしながら自分なりに気持ちを話し終えた時、相談する前よりも心は少し落ち着いていました。

何かを解決してもらったわけではありません。

答えの出ない気持ちを言葉にして、誰かに聞いてもらう。それだけでも、一人で抱えている時とは違いました。

あの時の私には、カウンセリングが必要だったのだと思います。

今の私からは、もう「会いたい」とは言えない

今回、私は一度、自分から「会いたい」と伝えました。

そして、元妻から「会いたくない」と伝えられました。

それが本当に子どもの言葉だったのか、今の私には確かめることができません。

それでも、その言葉を受け取った以上、何度もこちらから「会いたい」と求めることはできないと思っています。

今の状況では、子どもと会うためには元妻を通さなければ何も進みません。だからといって、何度も気持ちを確認してほしいと求めれば、結果的に子どもへ負担をかけることになるかもしれません。

だから今は、私からもう一度「会いたい」と言うつもりはありません。

「二度と会えない」と断定したいわけではありません。

いつか子どもの気持ちが変わることもあるかもしれません。いつか会いたいと思ってくれる日が来る可能性まで、今の私が否定する必要はないと思っています。

でも、その日が来ることだけを期待して生き続けることも、今の私には苦しいことです。

もう会えないかもしれない。

それでも、もしかしたらいつか会えるかもしれない。

今は、その二つの気持ちの間で揺れています。

それでも、私は前を向いて生きていく

今回、偶然子どもの姿を見かけたことで、自分が思っていた以上に「会いたい」という気持ちを抱えていたことを知りました。

自分なりに覚悟を決めたつもりでも、ほんの一瞬でその気持ちは大きく揺らぎました。

そして、「会いたくない」という言葉を受け取り、カウンセリングで気持ちを話しても、子どもと会えないという現実そのものが変わったわけではありません。

むしろ、以前よりもその苦しさを強く感じるようになった部分もあります。

それでも、私は前を向いて生きていきたいと思っています。

今回の出来事がなかったことになるわけでも、子どものことを思い出さなくなるわけでもありません。これから先も、季節が変わった時、同じくらいの年齢の子どもを見かけた時、何気ない日常の中で、何度も心が揺れることはあると思います。

それでも、そのたびに自分の人生まで止めるのではなく、この気持ちを抱えながら前へ進んでいきたい。

子どもの姿を見かけ、これほど心が揺れたからこそ、改めてそう思うようになりました。

この先、子どもの気持ちがどう変わるのか。

もう二度と会うことはないのか。

その答えは、今の私には分かりません。

ただ、この日に自分の心が大きく揺れたこと。そして、それでも自分の人生を前へ進めていきたいと思ったこと。

その気持ちを、今の自分の記録として正直に書き残しておきたいと思います。

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