妻に彼女との関係が知られたあとも、私たちはすぐに離婚へ進んだわけではありません。
当時、子どもは小学校受験の真っ只中でした。塾や家庭学習、学校見学など、親として支えなければいけないことが多くありました。
子どもの将来を考えると、家族を続ける選択をするしかない。あの時の私は、そう考えていました。
ただし、それは夫婦関係が戻ったという意味ではありません。条件付きで家族を続けることになっても、自分の心は戻っていませんでした。
この記事では、妻に関係が知られたあと、それでも家族を続けようとした理由と、その時に抱えていた葛藤を書いていきます。
この話の前の出来事については、こちらで書いています。
子どもの受験がすべての中心だった
当時、子どもは年中でした。
小学校受験に向けて、年少になる前から塾に通い始めていました。年中の頃には、土曜日はほぼ丸一日塾に通っていました。
さらに年長に向けて、週2日まるまる塾に通う予定もありました。
家庭での課題も多く、帰宅後から寝るまで、勉強や課題の練習に追われる日々でした。
子どもらしく自由に遊ぶ時間は、ほとんどなかったと思います。
学校見学も、年少の頃から参加していました。有名な学校については、見学だけでなく、参加できるイベントにはできる限り出ていました。
子どもはまだ幼く、受験の意味を十分に理解していたわけではありません。
それでも、そういうものだと思って頑張っていました。
親としては、今してあげられることをしてあげたい。良い環境で学ばせてあげたい。
当時の私は、小学校受験が子どもの将来につながると考えていました。
すでに1年半ほど、子どもは勉強を続けていました。受験まで残りもあと1年半ほど。
ちょうど折り返し地点のような時期でした。
しかも、これからさらに塾も家庭学習も本格的に忙しくなる時期でした。
その時点でも、生活には余裕がありませんでした。受験の準備だけで、家族の時間も気持ちもかなり使っていました。
ここまで子どもが頑張ってきたものを、自分の問題で壊してはいけないのではないか。
そう強く思っていました。
妻に知られて、離婚が現実になった
彼女との関係が妻に知られたことで、離婚は一気に現実になりました。
それまでにも、自分から離婚を考えることはありました。家庭の中で限界を感じ、自分の人生をこのままでいいのかと考え始めていたからです。
彼女との関係が知られたことで、自分から離婚を切り出すことも、妻から離婚を告げられることも、どちらも現実的になったように感じました。
もう家族として、今まで通りにはいられない。そう感じました。
ただ、その時も目の前には子どもの受験がありました。
塾、家庭学習、学校見学。親としてやらなければいけないことは、まだ山ほど残っていました。
自分の気持ちだけで離婚へ進めば、子どもの生活や受験に大きな影響が出るかもしれない。
そう考えると、自分から離婚しようと、その場で言うことはできませんでした。
離婚が現実になったはずなのに、子どものことを考えると、簡単には動けませんでした。
子どものために離婚しないと言われた
妻からは、子どものために今は離婚しないと言われました。
ただし、それは何もなかったことにするという意味ではありませんでした。条件については、後日あらためて出すと言われました。
その時点で、自分には選択肢がほとんどないように感じていました。
離婚になれば、子どもの受験や生活に大きな影響が出る。かといって、今まで通りの家族に戻れるわけでもない。
その間にあるのが、条件付きで家族を続けるという選択でした。
離婚しないというより、決められた条件を受け入れたうえで、家族の形を残す。
そんな感覚に近かったと思います。
条件付きで家族を続けることになった
後日、妻から家族を続けるための条件が出されました。
自分から慰謝料を払うこと。条件を受け入れれば、彼女には慰謝料を請求しないこと。妻が今後、別の男性と関係を持っても口を出さないこと。
妻の好きなタイミングで離婚できること。家に入れるお金が増え、お小遣いも制限されること。さらに、二人目の妊活も続けること。
大きく言えば、そのような内容でした。
不貞行為をしたのは自分です。だから、お金の問題については、責任を取る必要があると思っていました。
ただ、すべての条件を納得して受け入れられたわけではありません。
子どもの受験や子育てが落ち着いたら、妻のタイミングで離婚できること。妻は自由に行動できること。そして、夫婦関係が壊れていると感じていた中で、二人目の妊活を続けること。
そうした条件は、簡単に飲み込めるものではありませんでした。
それでも、彼女に慰謝料を請求しないという条件は大きかったです。彼女をこれ以上巻き込みたくない気持ちがありました。
そして何より、子どもの受験と生活を守りたい気持ちがありました。
だから、受け入れるしかない。そう思いました。
ただ、家族を続けるというより、妻の管理下に入る感覚の方が強かったです。
それまでも、家庭の中で自由が少ないと感じることはありました。けれど、この条件を受け入れたことで、その感覚はさらに強くなりました。
条件の詳しい内容については、別の記事でも書いています。
子どもの将来を守るために受け入れた
私が条件を受け入れた一番の理由は、子どもの将来でした。
当時の私は、片親の状態で小学校受験に向き合うことはかなり厳しいと感じていました。実際に受験準備をしてきた中で、家庭環境や両親の関わりは大きく見られるものだと感じていたからです。
共働き家庭で小学校受験を進めるには、両親の協力が欠かせませんでした。通塾、家庭学習、学校研究、学校見学。やることはいくらでもあり、時間はいくらあっても足りませんでした。
その途中で家庭環境が大きく変われば、子どもへの影響は避けられないと思いました。
子どもは本当に可愛かったです。ここまで頑張ってきた受験を、自分の問題で壊したくありませんでした。
自分が苦しくても、ここは受け入れるしかない。そう考えていました。
父親として、子どもの将来を守りたい気持ちが強くありました。
もちろん、条件を受け入れたからといって、自分の心が納得したわけではありません。
それでもあの時の私は、子どもの生活と受験を守ることを優先しました。
それでも心は戻らなかった
家族を続けると決めても、心が戻ったわけではありませんでした。
離婚しなくて済んだという安心感は、まったくありませんでした。むしろ、自分の中では何かが終わってしまったような感覚がありました。
これからは、自分の気持ちを消して、ただ家庭を回すために生きるしかない。そんなふうに感じていました。
彼女への気持ちも、少しも消えていませんでした。
このまま自分らしくいられない日々を続けていくのか。彼女と一緒にいられる未来を、本当に諦めるのか。
もし彼女がいつか別の誰かと幸せになる姿を近くで見ることになったら、自分は耐えられるのか。
そんなことを考えるだけで、胸が苦しくなりました。
妻との関係が修復されたわけでもありませんでした。
関係が知られた直後の数日は、特に強く責められました。家族を続けると決まった後も、細かいことで怒鳴られることがありました。
そのたびに、妻とはこの先こういう関係が続くのだと思った。
家族を続ける選択と、自分の本音は別でした。
子どものために家に残る。受験を支える。父親としての役割を果たす。
そう決めたはずなのに、自分の心はそこについてきていませんでした。
さらに、二人目の妊活を続けるという条件もありました。
その頃の私は、二人目の子どもを育てる気力や責任を本当に持てるのか、自分でも分からなくなっていました。
こんな状態で妊活が成功したとしても、生まれてくる子どもに申し訳ないのではないか。
そう考えるようになっていました。
家族を続けると決めたはずなのに、心は戻らない。彼女への気持ちも消えない。二人目の妊活にも向き合いきれない。
どうしたらいいのか、まったく分かりませんでした。
その葛藤は、少しずつ自分の心を削っていきました。
ここから、家族としてやり直そうとする日々と、自分の本音との葛藤が始まっていきます。
まとめ
妻に彼女との関係が知られたあとも、私たちはすぐに離婚へ進んだわけではありません。
子どもの受験と将来を考え、私は家族を続ける選択をしました。
ただし、それは納得や修復ではありませんでした。条件付きで家族を続けるという選択でした。
子どもを守るために受け入れた選択でしたが、自分の心が戻ったわけではありません。
家族を続けると決めても、彼女への気持ちは消えず、妻との関係が戻ることもありませんでした。
この日から、家族としてやり直そうとする日々と、自分の本音との葛藤が始まっていきます。

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