子どもと過ごす時間の重さ

離婚の記録
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受験の準備や面接のことを書いてきたけれど、本当に重かったのは、子どもと過ごす時間そのものだった。

受験勉強をさせることには、最後までどこか抵抗があった。
それでも、勉強とは別に、子どもと戯れる時間は確かに楽しかった。

まだその頃は、
「いずれ会えなくなる」と思いながら過ごしていた。

終わりは遠くにあるものだった。

けれど、私は離婚後は二度と会わないと決めた。
そして家庭から手を引くと決めてから、
時間の質は変わった。

減っていく時間ではなく、
自分で終わらせると決めた時間になった。

楽しいのに、重い。
大切なのに、距離を置く。

その矛盾を抱えながら過ごした、
あの数か月のことを書いておきたい。

何でもない日常が重くなった

離婚は決まっていた。

妻との関係だけを考えれば、
迷いはなかった。

けれど、子どものことになると、
話はまったく別だった。

私にとって、生きる理由の中心にいたのは、
いつも子どもだった。

だからこそ、
「いずれ会えなくなる」という現実は、
すぐには実感にならなかった。

どこかでまだ、遠い未来の話のように思っていた。

あと一年半ある。
まだ時間はある。

そんな中途半端な覚悟のまま、
何でもない日常を過ごしていた。

朝はいつも通り始まる。
目覚ましが鳴り、先に起きる。
子どもの寝顔を見る。

以前なら、それはただの習慣だった。
一日の始まりの、何でもない光景。

けれどこの頃の私は、
その寝顔を見ながら思っていた。

あと何回、こうして朝を迎えられるのだろう。

塾の宿題を見る時間もそうだった。
問題が解けて嬉しそうにする顔。
間違えて拗ねる顔。

「もう一回やってみようか」

そんなやりとりをしながら、
頭のどこかで数えている自分がいる。

公園に行けば、
全力で走る背中を追いながら思う。

この景色も、
いずれ思い出になるのだろうか。

当時、子どもが好きで何度も見ていた動画や音楽がある。
リビングに流れるその音。
一緒に笑った場面。

それも、ただの生活の一部だったはずなのに、胸の奥に引っかかるようになった。

特別な日ではない。
記念日でもない。

ただの朝。
ただの宿題。
ただの公園。
ただの音楽。

それなのに、
全部が少しずつ重くなっていった。

子どもとのなんでもない時間が、
実は幸せだったのだと、
その時になって気づいた。

私はまだ、
「いずれ会えなくなる」と思っていただけだった。

終わりは遠い未来の話で、
私はただ、それを受け入れる側にいるつもりだった。

けれど、
何でもない時間の中で、
静かにカウントダウンは始まっていた。
まだ、“いずれ”だと思っていた頃の話だ。

最後だと分かっていたクリスマスと誕生日

離婚が決まってから迎えた、五歳のクリスマス。
そして六歳の誕生日。

六歳のクリスマスの頃には、
私はもう家を出ていることになる。

だから、このクリスマスと誕生日は、
最後になると分かっていた。

五歳のクリスマス。

プレゼントは、前から欲しいと言っていた動物のおもちゃにした。

本当は、渡すタイミングを考えていた。
塾の試験で忙しい時期だった。
夢中になってしまえば、勉強に影響が出るかもしれない。

だから、
何かをやり切ったご褒美のように渡そうと思っていた。

けれど、子どもは何度も聞いてきた。

「あと何日で届くの?」
「もう来た?」

楽しみで仕方がなかったのだと思う。

私は、内側で別の“あと何回”を数えていた。

隠していたことが、ばれてしまった。

意図していないタイミングで渡すことになった。

子どもは、すごく喜んでいた。

夢中で箱を開け、
目を輝かせていた。

私はその様子を動画に撮った。

残しておこうと思った。

その横で、
妻は不満そうだった。

こんなタイミングでって、塾のことを考えていないと、文句も言われた。

私は何も言い返さなかった。

嬉しそうな顔だけを、見ていた。

六歳の誕生日。

その頃には、私は家庭から手を引いていた。

本当は、
もうプレゼントを渡すつもりはなかった。

けれど、
「どうしてもこれが欲しい」と言われた。

私は買った。

そして言った。

「これがパパからの最後のプレゼントだからね」

子どもは、私が出ていくことを知っていた。

驚きはなかった。

ただ、おもちゃを抱えていた。

誕生日のとき、
私は写真を撮らなかった。

もう写真や動画は残さないと決めていた。

クリスマスに撮った動画も、
今までの写真も全てその頃には消していた。

その後、
ねだられたおもちゃは買わなかった。

本当に、それが最後だった。

ケーキを囲む時間に、私はいない。
祝う席にもいない。

プレゼントは、
その時間とは別に、
ただ単独で渡した。

子どもも最後と分かっていたかもしれない。
でも、強く意識したのは私だけだろう。

ひとつひとつを、
「これが最後だ」と思いながら渡していた。

楽しい時間ほど苦しかった

一緒にいる時間は、まだあった。

笑うこともあった。
出かけることもあった。

けれどその頃には、
楽しさと同じだけ、
終わりの影も隣にあった。

笑っているのに、
胸の奥は静かに重い。

楽しい時間ほど、
それははっきりした。

戯れていた時間

離婚が決まったあとも、
子どもと過ごす時間は、まだ残っていた。

けれど、もう多くはなかった。

受験勉強で毎日が埋まっていた。
塾もあり、宿題もあった。
この一年半で公園に行けた日は、
片手で数えられるくらいだった。

水族館も、離婚が決まってからは一度だけ。
昔は何度も行った場所だった。

そのとき、
はっきり「最後だ」と思っていたわけではない。
けれど、
「もう来ないかもしれない」
そんな感覚はあった。

家の中でもそうだった。

昔はよく、戦いごっこや抱っこなど戯れることが多かった。
けれど受験の忙しさと、家庭の空気の変化の中で、
そういう時間は少しずつ減っていった、

くっついたまま昼寝をすることもあった。
小さな体温が腕に触れている。

その時間も、
ずっとではないと、
どこかで噛みしめていた。

保育園の送り迎えは、私は自転車が多かった。

後ろに乗せて、
「今日はこっちから帰る」と
子どもが道を決める。

途中でコンビニに寄る。
小さなお菓子を選ぶ時間が好きだった。

なんでもない帰り道。

けれど私は、
その時間を数えていた。

あと何回、
この体温を感じられるだろう。
あと何回、
この自転車に乗せられるだろう。

まだこの頃は、
終わりは遠いと思っていた。

減っていく時間だと。

それでも、
なんでもない瞬間が、
静かに重くなっていった。

距離を置くと決めてから

離婚後は子どもに二度と会わないと決めたあと、そして家庭から手を引くと決めてから、
時間の意味は変わった。

それまでは、
減っていく時間を数えていた。

けれどこの頃からは、
自分で削る時間になった。

保育園のお迎えからも、
少しずつ手を引いた。

自転車で帰るあの時間も、
コンビニに寄る寄り道も、
自分から減らしていった。

これ以上、
自分が離れられなくならないように。

くっつく時間も、
戦いごっこも、
その頃は私から無くしていった。

私が、距離を置いた。

未練を生まないように。

子どもは、
それに気づいていたのかもしれない。

家庭内の空気も、
以前より明らかに悪くなっていた。

勉強を見ないなら、
家のことをやらないなら、
部屋から出てくるなと言われていた。

私はもう言い返す気もなく、
自分から部屋を出ることもなかった。

二人の会話の中で、
私は「あの人」と呼ばれるようになった。

私について「クズ」という言葉が
聞こえてくることもあった。

そんな空気の中でも、
子どもは私の部屋に、
そっと顔を出すことがあった。

少し私の顔を見て、

「ママに見つかるから、戻るね」

そう言って、
急いで出ていく。

ああ、と思った。

子どもに、
変な気を遣わせている。

本当なら、
気を遣う必要なんてないはずなのに。

私は、
自分で選んだ道の重さを、
その小さな背中に感じていた。

「ほんとに出ていっちゃうの?」

家庭のことから手を引くと宣言してから、
子どもは妻とお風呂に入るようになった。

子どもだけ先に出てきて、
自分で身体を拭き、
着替えもするようになっていった。

そして、先にひとりでできる勉強を始める。

少しずつ、
私がいなくても回る生活になっていった。

けれど、
ときどきタオルを持って
私の部屋まで来ることがあった。

「拭いて」

短い一言。

子どもなりに、
関わろうとしていたのだと思う。

私は何も言わず、
身体を拭いた。

その時間は、
ほんの数十秒だった。

「何してるの?」

脱衣所から妻の声が飛ぶ。

子どもは、
「戻るね」と言って、
急いで部屋を出ていく。

その小さな背中を、
ただ見送った。

ひとつだけ、
果たしておきたい約束があった。

釣りだ。

近所の川へ、
一度だけ連れて行った。

もう会わないと決めたあとだった。

本当は、
もっとちゃんと教えたかった。

竿の持ち方も、
餌のつけ方も、
魚がかかったときの手の感覚も。

私が釣りが好きだったから、
いつか一緒の趣味になればと
昔は思っていた。

けれど、それはもう無理だと分かっていた。

だからせめて、
一度だけでも。

「釣り連れていって」って、言ってたよな、

その約束だけは、
果たしておきたかった。

これで最後だと、
はっきり分かっていた。

あんなに
「パパなんて出ていけ」と言っていたのに、
最後の一、二か月は、
言葉が変わった。

「ほんとに出ていっちゃうの?」

そう聞かれるようになった。

答えに詰まった。

けれど、
私は正直に言った。

「出ていくよ」

嘘はつかなかった。

そのたびに、
胸の奥が静かに沈んだ。

あと何日で会えなくなるのか。

あと何回、こうして顔を見られるのか。

その感覚は、
もう曖昧ではなかった。

子どもへの愛情が消えたわけではない。

けれど、
私の気持ちはすでに
完全に彼女のほうへ向いていた。

だから私は、
迷いながら数えていたのではない。

終わらせると決めた者として、
残りの回数を噛みしめていた。

それでも私は別の未来を選んでいた

子どもへの愛情がなかったわけではない。

抱きついてくる体温も、
自転車での帰り道も、
釣りの約束も、
「ほんとに出ていっちゃうの?」
という声も、全部、
確かに重かった。

大切だった。

それでも私は、
別の未来を選んだ。

迷いはなかった。
気持ちは、もう完全に彼女のほうへ向いていた。

だから私は、
子どもとの時間を
自然に減っていくものではなく、
自分で終わらせるものとして見ていた。

そこに後悔はない。

ただ、反省はある。

最後の一年、
私は受験に懐疑的だった。

壊れかけた家庭で競争に立たせること。
私立という環境に進ませること。

止めることもできたのかもしれない。
けれど、出ていくと決めた以上、
途中で投げ出すわけにもいかなかった。

最後までやるしかなかった。

両親の都合の中で、
一番影響を受け止めていたのは、あの子だった。

子どもは、ちゃんと頑張っていた。

年長になる頃、自転車を買ってもらっていた。

けれど、
塾と勉強、課題で毎日が埋まり、
練習する時間はほとんどなかった。

「受験が終わったら、ちゃんと練習しような」

そう思っていた。

補助輪を外す瞬間も、
転びながら覚えていく姿も、
そばで見ていたかった。

けれど受験が終われば、
私は家を出ることになっていた。

その時間は、
もう私のものではなかった。

自分で手放した未来だ。

それでも私は、
離婚して家を出ることを間違いとは思っていない。

ただ願っている。

私立に進んだことを、
いつか子どもが自分の人生の中で
よかったと思える日が来ることを。

ここから先は、
あの子自身の力で歩んでいく道だ。

私はもう、
その未来を知ることはない。

それでも。

どうかまっすぐに進んでほしいと、
それだけを思っている。

この時間は終わると分かっていた。

そして私は、
その終わりを、自分で選んだ。

離婚の記録|実体験シリーズ

このブログでは、離婚に至るまでの経緯と、その後の出来事を実体験として記録しています。
時系列で読めるようにシリーズとしてまとめています。

離婚に至るまでの経緯
離婚を躊躇した理由
離婚を決断した日
離婚が決まっても家を出られなかった理由
受験という現実
終わると分かっていた家族の日常
面接をこなすたび削れていく気持ち
⑧ 子どもと過ごす時間の重さ(この記事)
同じ家にいる他人

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