離婚を決断した日

離婚の記録
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前回、私は離婚を躊躇してきた理由について書きました。
世間体、親への申し訳なさ、子ども、生活、お金。
失うものが多すぎて、何度も足が止まりました。

今回は、その迷いが終わった日――
私が離婚を決めた日のことを書きます。
あの日、何が起きて、何を感じ、何を手放したのか。

今日は、その決断に至った日のことを書きます。
あの日、何が起きて、何を感じ、何を手放したのか。

不倫が発覚したあと、妻はこう言いました。
「離婚はしない」
ただし、条件がある、と。

私はそのとき、家族を続けられる可能性があるのなら、
自分が耐えればいいのだと思っていました。
その“条件”が何を意味するのか、深く考えないまま。

家族を続けるための条件

提示された内容はこうだった。

  • 妻への慰謝料として50万円を支払うこと
  • 毎月の詳細な家計簿を提出すること
  • 今まで以上に家にお金を入れること
  • 彼女との仕事以外の関係を完全に断ち、連絡もしないこと
  • 彼女がいる飲み会に参加しないこと
  • 妻が他の男性と関係を持っても口出ししないこと
  • 妻のタイミングでいつでも離婚できること
  • 二人目の不妊治療は継続すること

相手は職場で顔を合わせる人だった。
だからこそ、「完全に断つ」という条件は、現実的にも精神的にも簡単なものではなかった。

そしてもう一つ。
この条件を受け入れるなら、彼女への慰謝料は請求しないとも言われた。

私はその条件を受け入れた。

自分が悪い立場だと思っていた。
責められて当然だと思っていた。

家族を守れるなら、それでいいと思った。
そして同時に、彼女への慰謝料請求を止められるのなら、
それも自分の責任だと思った。

誰かを守れる立場ではなかった。
それでも、これ以上傷つく人を増やしたくなかった。

だから、飲んだ。

条件を飲んだ数日間

私は、その条件を受け入れた。
それで終わるはずだった。

けれど、身体は正直だった。

手が震えた。
食事が喉を通らない。
夜、横になっても眠れない。
数日で体重が落ちていった。

不倫が発覚した翌朝、
受験予定の学校の見学があった。

その朝、彼女に妻に関係が知られたこと、
そして別れを告げる連絡をした

そのまま学校へ向かった。

校舎を歩きながら、説明を聞きながら、
自分がどこにいるのか分からなくなった。

周囲は「将来」の話をしている。
私は、自分の足元すら崩れかけていた。

父親として、真面目に話を聞く。
質問もする。
笑顔もつくる。

でも、内側は空白だった。

相手は、毎日顔を合わせる人だった。

突然の別れだった。
きちんと気持ちを整理した別れではなかった。

話し合いもできない。
連絡もできない。
目の前にいるのに、何もできない。

自分が求めている相手が、すぐそこにいる。
それでも関わってはいけない存在になる。

彼女は人としても魅力があり、
周囲からも好かれていた。

いつか、誰かの隣に立つ姿を見ることになるかもしれない。
そう考えるだけで、胸が締めつけられた。

それでも、何も言えない。

その現実が、静かに、しかし確実に自分を削っていった。

自分では平静を装っているつもりだった。
けれど職場で同僚に「大丈夫?」と声をかけられた。
どうやら、隠せていなかったらしい。

さらに、人工授精の治療が控えていた。

準備のために、ひとりで処置をしなければならなかった。
あの時間は、あまりにもつらかった。

夫婦関係は壊れている。
心は別の方向を向いている。
それでも「父親としての役割」を続ける。

自分の感情と、行動が完全に分離しているような感覚だった。

治療日が来れば、二人目の子どもができる可能性がある。
そうなれば、もう後戻りはできない。

このまま進むのか。
それとも、ここで止めるのか。

私は、日に日に追い詰められていった。

消えてしまえば楽なのではないか。
そんな考えが、頭をよぎることもあった。

子どもを取るのか。
自分を取るのか。

その問いに向き合い続けること自体が、もう限界だった。

誰かに救われた夜

限界だった。

夜になると、思考が止まらなかった。
何が正解なのか分からない。
何を選んでも誰かを傷つける。

消えてしまえば楽なのではないか。

本気でそう考えた夜があった。

「死にたい」と検索した。

出てきたのは、いのちの相談窓口だった。

電話をかけた。
けれど、回線は混み合っていて繋がらなかった。

その瞬間、
「助けてもらえないのか」と思った。

それでも、もう一度探した。

有料の電話カウンセリングを見つけ、
震える手で番号を押した。

誰かに正解を教えてほしかったわけではない。
ただ、自分の気持ちをそのまま話せる場所がほしかった。

私は初めて、
「もう限界だ」と声に出した。

子どもを捨てるのかもしれないこと。
自分を優先しようとしていること。
父親として失格かもしれないこと。

全部、吐き出した。

返ってきた言葉は、意外なものだった。

「我慢することが、必ずしも正義とは限りません」
「その姿を見続けることのほうが、子どもにとってつらい場合もあります」

その言葉で、
はじめて呼吸が少しだけ深くなった。

自分を優先することは、
子どもを愛していないという意味ではないのかもしれない。

逃げることと、壊れる前に終わらせることは、
同じではないのかもしれない。

その夜、私ははじめて、
「終わらせる」という選択を現実として考えた。

妻の誕生日に

人工授精の治療日は、すぐそこまで迫っていた。

もしそのまま進めば、二人目の子どもができる可能性がある。
そうなれば、もう戻れない。

切り出すなら、今しかない。

皮肉なことに、その日は妻の誕生日だった。

申し訳ないと思いながら、私は伝えた。

「離婚したい」

妻は静かに言った。

「それなら、彼女へは慰謝料を請求するかもしれない」

そして続けた。

「離婚するとしても、受験が終わってから」
「あなたは不貞行為をした側だから、選ぶ立場ではない」

その通りだと思った。

私は、有利な立場ではなかった。
責められて当然の側だった。

それでも、戻るという選択肢はなかった。

離婚はすぐには成立しない。
受験が終わるまで家に残ることになる。

それでも私は、
その場で引き下がらなかった。

覚悟が固まったというより、
もう戻れないと分かっていた。

守るために続けるのか。
壊れる前に終わらせるのか。

私は、終わらせるほうを選んだ。

その瞬間、何かが軽くなったわけではない。
ただ、現実が、はっきりと動き始めただけだった。

決断の後に残った現実

私は、離婚を切り出した。

覚悟はできていると思っていた。
失うものも、責められることも、
すべて受け止めるつもりだった。

けれど、現実は思っていたよりずっと重かった。

離婚はすぐには成立しない。
受験が終わるまで、同じ家で生活は続く。
公正証書という契約。
養育費。
面会条件。

そして、守りたかったはずの人との関係さえ、
思い描いた形にはならなかった。

決断はゴールではなかった。
むしろそこからが、本当の始まりだった。

次は、
離婚が決まってからも家を出られなかった日々と、
終わると決まっていた家族で過ごした時間について書こうと思う。

離婚を躊躇してきた理由については、こちらの記事にまとめています。

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