罪悪感より、彼女との未来を考えるようになった日

離婚の記録
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公にできない関係だと分かっていながら、私は彼女との時間に救われていました。

正当化できることではありません。
何より、子どもへの罪悪感はありました。

それでも、家庭の中で自分を保つことが難しくなっていた私は、彼女といる時間だけは自分らしくいられました。

この記事では、終わりがある関係だと分かっていたはずなのに、彼女との未来を考えるようになった日のことを書いています。

罪悪感が消えたわけではありません。
それでも私は、初めて自分の将来を真剣に考えるようになりました。

この話の前の出来事については、こちらで書いています。

気づけば変わっていた日常

世間的に良くないことだと分かっていた

この関係を、正当化するつもりはありません。

世間的に見れば、良くないことだと分かっていました。
公にできる関係ではなかったし、批判されることも当然だと思います。

当時の家庭では、二人目の妊活も進んでいました。
その最中に別の人へ気持ちが向いていたことは、裏切りと言われても仕方ありません。

それでも、当時の私は限界に近い状態でした。

妻との夫婦関係は、もう長く終わっていたように感じていました。
5年以上、夫婦としての体の関係はありませんでした。

「離婚してもいい」
「外でしてきてもいい」

そう言われていたこともありました。

もちろん、それで自分の行動が許されるわけではありません。
ただ、あの頃の私は、家庭の中で自分の気持ちを保つことが難しくなっていました。

家の中で、少しずつ削られていた

当時の私は、育児や家事の多くを担っていました。

小学校受験に向けた通塾や、毎日の勉強の面倒も、ほとんど私が見ていました。
妻の方が仕事で忙しく、家計を支えてくれていたことも分かっています。

だから、役割分担だと割り切ろうとしていました。

それでも、簡単なことではありませんでした。

うまくできなければ責められる。
子どもの成績が上がらなければ、自分の指導が悪いと言われる。

家の中では、常に妻の機嫌を損ねないようにしていました。

子どもの前で怒られたこともありました。
自分が悪くないと思っても、謝らなければ元に戻れないこともありました。

一番つらかったのは、妊活がうまくいかない中で言われた言葉でした。

「お前が夫じゃなければよかった」

その言葉で、完全に心が折れた感覚がありました。

妻も苦しかったのだと思います。
仕事も忙しく、妊活の負担も大きかったはずです。

それでも、人には言ってはいけない言葉がある。
近い関係だからこそ、超えてはいけない線がある。

当時の私は、そう感じていました。

子どもへの罪悪感は消えなかった

それでも、子どもへの罪悪感はありました。

夫婦の問題に、子どもを巻き込んではいけない。
自分が我慢して、家族を守らないといけない。

ずっとそう思っていました。

子どもは本当に大切でした。
一緒に過ごす時間も、成長を近くで見られることも、何より大事でした。

だからこそ、離婚を自分から考えることはできませんでした。

どれだけ苦しくても、子どものために我慢する。
それが父親としての役目だと思っていました。

でも、その一方で、心は少しずつ限界に近づいていました。

夜、寝る前に涙が出ることもありました。
深夜まで眠れない日も続いていました。

家では、いい夫でいなければならない。
いい父親でいなければならない。

そう思いながら、いつも自分を演じていた気がします。

彼女といる時間だけは、自分らしくいられた

そんな中で、彼女といる時間だけは違いました。

無理に何かを演じる必要がありませんでした。
話を聞いてくれて、否定されることもありませんでした。

彼女とは、価値観が近いと感じることも多くありました。

何かを無理に合わせている感覚ではなく、
自然に話が通じるような感覚がありました。

だからこそ、
一緒にいる時間が心地よかったのだと思います。

ただ受け入れてもらえているような感覚がありました。

今振り返れば、それは彼女の優しさだったのだと思います。
期間限定の関係の中で、私が満たされるように振る舞ってくれていたのかもしれません。

それでも、当時の私はその優しさに救われていました。

LINEが来るだけで嬉しかった。
次に会う予定ができるだけで、毎日を頑張ろうと思えました。

家のことを終わらせたあと、深夜に彼女と連絡を取る時間が楽しみでした。
そんな時間まで起きてくれていることも、嬉しかったのを覚えています。

その時間の中で、ふと思いました。

「そういえば、自分はこういう人間だったな」

家の中で忘れていた自分を、彼女といる時間だけは取り戻せていたのだと思います。

期間限定だと分かっていた

もちろん、この関係がずっと続くとは思っていませんでした。

始まりの頃から、私たちの関係には終わりがあると分かっていました。
二人目の妊活がうまくいくまで。

そんな曖昧な期限を、どこかで共有していました。

私は別れに強い人間ではありません。

過去の恋愛でも、別れたときにかなり苦しんだ記憶がありました。
だから、本気になりすぎてはいけないと思っていました。

のめり込めば、終わるときにつらくなる。
彼女の方が、きっと割り切っている。

そんなことも、どこかで分かっていました。

それでも、気づけば彼女のことを考える時間は増えていました。
会えない時間にも、彼女のことが頭に浮かぶようになっていました。

終わりを意識していたはずなのに、気持ちは止まりませんでした。

「そろそろ別れを考えなきゃね」と言われた日

私たちの関係は、不倫が発覚するまで約1か月でした。

その短い期間の中で、実際に会えたのは数えるほどです。
それでも、その時間は私にとって大きなものでした。

ある日、彼女から言われました。

「そろそろ別れを考えなきゃね」

彼女は、妻のことも気遣ってくれていました。
妊活は大変だし、妊娠してからも大変になる。

だから、もう終わりを考えなければいけない。
彼女はそう思っていました。

私は、もっと先の話だと思っていました。

別れを想像したことはありました。
でも、現実として目の前に出された瞬間、急に怖くなりました。

彼女を失うことが、想像以上につらかった。

私は正直に伝えました。

「もう少し一緒にいたい」

そして、続けてこう伝えました。

「俺の人生に、彩りをくれてありがとう」

その言葉を聞いた彼女は、

「ありがと、別れづらくなるじゃん」

そう言って、本気で喜んでくれました。

大げさな言葉ではなく、
当時の私にとっては本心でした。

初めて離婚が頭によぎった

そのとき、初めて離婚が頭によぎりました。

それまで離婚を本気で考えたことはありませんでした。
妻から離婚や別居を言われたことはあっても、自分から選ぶものだとは思っていませんでした。

離婚を躊躇していた理由については、以前の記事でも書いています。

▶︎ 離婚を躊躇してきた理由

妻と別れること自体は、もうつらくない。
でも、子どもの顔が浮かびました。

この先の成長を見られなくなるのは嫌でした。
一緒に過ごせる時間が減ることも、簡単には受け入れられませんでした。

それでも、同時に考えてしまいました。

自分の人生は、このままでいいのか。

子どもはいずれ成長して、自分の世界を持っていく。
そのとき、自分には何が残るのか。

このまま我慢を続けた先に、自分は生きていられるのか。

そんなことが、初めて現実のものとして頭に浮かびました。

彼女を失う未来より、彼女といる未来の方が幸せなのではないか。

この時、離婚そのものというより、
自分の将来を真剣に考えるようになりました。

正当化はできない。それでも当時の自分には救いだった

この気持ちを、正当化することはできません。

世間から見れば、最低だと思われても仕方ありません。
批判されることも理解しています。

妻だけが悪かったと言いたいわけでもありません。
妻にも苦しさがあり、事情があったのだと思います。

それでも、当時の私は壊れかけていました。

彼女との時間は、そんな自分にとって救いでした。
自分らしくいられる、大事な時間でした。

彼女は、私が家でどんな扱いを受けていたのかを詳しく知りませんでした。
それでも、私が本当に幸せそうではないことには気づいていました。

だから、近くにいてくれたのかもしれません。

この頃は、罪悪感よりも、彼女との未来を考える時間が増えていました。

そして彼女に別れを考えようと言われた翌日。
妻に、彼女との関係が知られることになりました。

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