離婚が決まっても、家を出られなかった理由は「受験」だった。
もともと息子の受験は、私自身が望んだ選択でもある。
いい環境で学ばせたい。可能性を広げてあげたい。
その思いに、嘘はなかった。
けれど、家庭の形が崩れはじめたとき、
同じ「受験」という言葉が、少しずつ違う重さを持ちはじめた。
正しいと思っていたものは、
本当に正しかったのか。
この頃から、私は少しずつ分からなくなっていった。
受験は正しいと思っていた
受験は、もともと私も望んだ選択だった。
子どもが産まれる前から考えていた。
いい環境で学ばせたい。
より多くの可能性の中から未来を選べるようにしてあげたい。
それは親として、ごく自然な願いだと思っていた。
私立という選択肢は、
自分が歩んできた道とは違う道でもあった。
だからこそ、そこに価値を感じていた。
与えられる環境があるなら、与えたほうがいい。
努力できる場所があるなら、挑戦したほうがいい。
努力が当たり前の環境で切磋琢磨してほしい。
親を超えていってほしい。
小学校受験なら親の努力で進路を考えてあげられる。
そんな考えがあった。
難関校を目指す塾に入ったとき、
正直に言えば、少し誇らしかった。
大変なのは当然だと思っていた。
厳しいのも当たり前だと思っていた。
甘くない世界のほうが、きっと強くなる。
受験は、努力の象徴で、
将来のための投資で、
間違いのない選択だと信じていた。
少なくとも、その頃の私は疑っていなかった。
夫婦の溝と、受験の温度差
離婚が決定し夫婦の関係が揺らぎ始めた頃から、
同じ「受験」という言葉の重さが、少しずつ変わっていった。
最初は、同じ方向を見ていたはずだった。
将来のため。環境のため。
その目的は共有していたと思う。
けれど、家庭の空気が変わると、
受験の意味も変わっていった。
話は遡るが、年少になる前の10月、
最速と言われるタイミングで塾に入った。
そこから三年間、受験勉強は続く。
思っていたより、ずっと長い戦いだった。
塾に通い始めてすぐ、
周囲のレベルの高さを目の当たりにした。
できる子は、最初からできる。
家庭で積み上げてきた差は、はっきりと見えた。
塾は想像以上に厳しかった。
宿題の量も、求められる理解度も、
甘さを許さない世界だった。
しかもそれは、子どもだけの戦いではなかった。
送り迎えは当然として、
授業は親も必死だった。
先生の説明をメモし、
どこでつまずいているのかを理解し、
どう教えれば伸びるのかを考え続ける。
課題のやり方、声かけの仕方、
姿勢の整え方まで求められる。
親が理解していなければ、
子どもは伸びない世界だった。
特に最初の二年間、
妻は仕事が忙しく、
私はほぼフルコミットで関わっていた。
授業の内容を把握し、
家での復習を管理し、
足りない部分を埋める。
何をしていても
「やらせないと」「できるようにしないと」
という焦りがつきまとった。
自分の時間は、ほとんどなかった。
本来なら、家族が一つになって支える世界なのだと思う。
時間の管理。
精神面のフォロー。
励ましと調整。
それは片手間でできるものではない。
一方で、子どもはまだ年少期。
自分が何を目指しているのかも分からない。
なぜ毎週テストがあるのかも分からない。
こちらが求める姿勢で
自発的に臨むわけではない。
それは当然だ。
仕方のないことだ。
でも私は、
その「仕方ない現実」と
「求められる水準」のあいだで
常に焦っていた。
妻に勉強を任せると、
必要以上に厳しく叱ることがあった。
できないことに対して、容赦がなかった。
子どもは泣いていた。
その姿を見るのがつらくて、
私は「自分が教えよう」と思った。
私が教えている間、
妻は休憩したり、別のことをしていた。
正直、腹が立った。
そのくせ、求める結果は厳しい。
家庭の空気は少しずつ張り詰めていった。
受験は、
子どもの未来のための挑戦だったはずなのに、
いつの間にか夫婦の溝を深める装置になっていた。
私は次第に感じ始めていた。
この世界は、家族が一致団結してこそ成立するものなのではないか、と。
そして同時に、
いまの私たちには、それができていないのではないか、と。
理想とのズレは、
離婚が決まる前から、確実に始まっていた。
そして離婚が決定し、家庭の土台が揺らいだとき、
私ははじめて、真正面から考えることになった。
これは、本当にこの子のためなのか?
怒られる子どもを見て芽生えた違和感
年長が近づくにつれ、
授業数も課題も増えていった。
月謝は月給に近い金額にまで跳ね上がり、
家庭でこなすべき内容は明らかに重くなった。
そしてクラスは、レベル別に分かれた。
一番上のクラスにいること。
それが合格に近い位置にいることを意味しているように思える。
難関校の合格者の多くは、この塾のトップ層だった。
数字を見れば、それは明らかだった。
トップにいることが、合格に近づくことを意味していた。
つまり、
トップにいなければ合格が見込めない可能性がある。
そんな空気があった。
テストのたびに順位が出る。
普段の授業も含めて出来が悪ければ、クラスの“都落ち”もある。
私は必死になった。
テスト対策をさせ、
課題を完璧にこなさせ、
ミスを減らすために何度も繰り返させた。
置いていかれたくなかった。なんとかトップのクラスに必死にくらいついていた。
でも、その焦りの中心にいたのは、
まだ幼い子どもだった。
何を競わされているのかも分からないまま、
「できない」と言われる。
妻が勉強を見ると、
叱責は容赦がなかった。
子どもは泣いていた。
そんな姿を見るのが耐えられず、
勉強は私がみていた。
最初は「甘い世界じゃない」と思っていた。
競争なのだから仕方ないと。
私も厳しく指導していた。
でも、
泣きながら机に向かう姿を見ているうちに、
違和感が芽生えた。
親の見栄ではないか。
費やした時間や費用を、どこかで回収しようと
していないか。
この世界は、
家族が一致団結し、
精神的にも経済的にも余裕があってこそ
成立するものなのではないか。
いまの私たちに、
それが本当にできているのか。
私が望んだのはいい環境で勉強をすること。
けれど、このままでは、
勉強が嫌いになるのではないか。
やらされなければ動けない子に
なってしうまうのではないか。
受験は、本当にこの子を幸せにするのだろうか。
私は立ち止まった。
けれど、受験は止まらなかった。
離婚が決定し彼女を優先することを決めた私は、
やがて家庭のことから少しずつ手を引いていくことになる。
年長の時期、
受験へのコミットはほとんど妻が担うようになった。
だが、
妻は変わらず厳しかった。
叱責は強く、
子どもは追い詰められていた。
手を引いたとはいえ、
心配にならないわけがなかった。
私は何度も止めに入った。
すると返ってきたのは、
「お前がやらないからこうなってる」
「もう口を出すな」
「時間の無駄だから邪魔をするな」
そんな言葉だった。
そのたびに、
私は黙るしかなかった。
違和感を抱えたまま、
受験だけが前に進んでいった。
片親になる現実と、子どもの未来
受験への違和感は、
家庭の問題と切り離せなかった。
離婚は決まっていた。
ただ、離婚のタイミングは入学後にした。
合格が取り消される可能性を避けるためだった。
つまり、
入学後に苗字が変わることは、ほぼ確定していた。
その現実を前提にしたとき、
受験の意味はさらに揺らいだ。
周囲は両親がそろっている家庭が多いだろう。
経済的にも、精神的にも余裕のある家庭が多い世界だ。
そこに、
入学直後に片親になる子を送り出す。
本当に大丈夫なのか。
いじめられないか。
肩身の狭い思いをしないか。
そんなことまで考えるようになった。
さらに現実的な問題もある。
離婚すれば世帯収入は減る。
妻は仕事を制限せざるを得なくなる可能性もある。
単体の収入も下がるかもしれない。
私はやがて家庭を出る立場になる。
もう自分が直接背負う家計ではないかもしれない。
それでも、
経済的な不安は消えなかった。
受験は努力の問題だと思っていた。
でもそれだけではない。
家庭の安定。
両親の関係。
経済的な土台。
それらが揃って初めて成立する世界なのではないか。
私はようやく気づいた。
いい環境に入れることと、
その環境に適応できることは、
同じではない。
受験は、本当にこの子を守る選択なのか。
それとも、
形だけ整えた安心なのか。
正解が、分からなくなっていった。
外から見た世界(彼女の視点)
受験について、
私は自分の中で考え続けていた。
けれど、それをはっきりと言葉にしたのは彼女だった。
彼女は中学から私立に通っていた。
周囲には両親がそろった家庭が多く、
経済的にも余裕のある家が多かったという。
だからこそ、言った。
「片親になるって分かっていて、私立に入れるの?」
「入学してすぐ苗字が変わるって、どんな目で見られると思う?」
さらに、こうも言った。
「相手はプロだよ。
うまくいっている家庭かどうかなんて、分かると思う」
その言葉に、私は黙った。
私はどこかで、
その場さえ取り繕えればいいと思っていたのかもしれない。
面接で、
家庭が一致団結しているように見せること。
いい親であるように振る舞うこと。
仮にそれができたとしても、
その裏でどれだけ精神を削るのか。
そして何より、
彼女に「結局、いい父親ぶるんだろ」と思われることが怖かった。
実際、その場ではそう振る舞おうとする自分がいることも、分かっていた。
さらに彼女は、はっきりと言った。
「それ、親の見栄じゃないの?」
痛い言葉だった。
でも、否定できなかった。
いい学校。
難関校。
合格実績。
それは本当にこの子のためなのか。
それとも、
自分が“正しい選択をした側”にいたいだけなのか。
彼女は受験を否定したわけではなかった。
ただ、前提を崩した。
「いまの家庭環境で、それをやる意味は?」
その問いだった。
私はずっと、
受験は努力の問題だと思っていた。
けれど彼女は、
努力の前にある土台を見ていた。
両親の関係。
家庭の安定。
精神的な余裕。
それらが揺らいでいるまま、
形だけ整えようとしていないか。
私は、初めて自分の動機を疑った。
受験が正しいかどうかではない。
いまの私たちに、その選択をする資格があるのか。
その問いが、
心に残った。
けれど、現実はそれでも動いていた。
それでも止められなかった理由
違和感は、はっきりあった。
このまま続けていいのか。
ここまで叱りながらやらせるものなのか。
この子は、勉強そのものを嫌いになるのではないか。
受験が近づくにつれ、その思いは強くなっていった。
私は何度か、やめないかと提案した。
一度立ち止まらないか、と。
けれど返ってきたのは、強い拒絶だった。
「今さら何を言ってるの?」
「ここまでやってきて逃げるの?」
「協力しないなら、せめて邪魔をするな」
「部屋から出てくるな」
私は黙るしかなかった。
受験の方向性を変える力は、もう自分にはなかった。
けれど、それだけではない。
本当は、止めきれなかった理由がある。
私はすでに、離婚を決めていた。
彼女を優先すると決めていた。
その立場で、
受験までやめさせることはできなかった。
離婚の条件。
入学後に離婚するという段取り。
合格への影響。
受験を止めることは、
離婚の流れそのものを揺らしかねない。
息子を思えば止めたい。
でも、自分の未来のために、
無理やり止めることもできない。
私は、自分が卑怯だと思った。
責任を最後まで果たす覚悟もないのに、
「これは違う」と思いながら、
そのレールの上を走らせ続けている。
止める勇気も、
貫く覚悟もない。
そんな自分だった。
離婚が決まったあと、
塾の講習会で耳にした話がある。
受験期での方針の違いで離婚に至る家庭は少なくないこと。
受験後まで我慢して離婚するケースも珍しくないこと。
そして、こう続いた。
「だから今は、耐えてください」
私は、その言葉を静かに聞いていた。
他人事とは思えなかった。
受験は、
子どもの問題だけではない。
親の価値観と、
夫婦の土台を試すものでもある。
私はそれを分かっていながら、
止めることができなかった。
そのとき、強く思った。
これは本当に、子どものためなのだろうか。
自分が思い描いていた受験とは、
どこか違っていた。
未来のための挑戦だと思っていたものが、
いまは、何かをすり減らしながら続ける儀式のように見えた。
それでも私は、違和感を抱えたまま、
走らせ続けた。
その矛盾が、
いちばん自分を削っていた。
正しいと思っていたもの
受験は、間違いだとは今も思っていない。
いい環境で学ぶこと。
努力する世界に身を置くこと。
可能性を広げること。
それ自体は、正しいことだと思う。
私は本気で、
それがこの子の未来につながると信じていた。
けれど、正しいかどうかは、
それだけでは決まらないのだと知った。
どんな家庭で。
どんな関係の中で。
どんな空気の中で。
同じ受験でも、
意味はまったく違ってしまう。
私は受験を信じていた。
でも、
壊れた家庭が、
それでも押し進めることまでが正しかったとはいまは思えない。
止められなかった自分もいる。
止めきれなかった現実もある。
だからこれは、
成功でも失敗でもなく、
ただの選択だったのだと思う。
そしてその選択は、
子どもだけでなく、
私たち大人の未熟さも映していた。
私たちの受験は正しかったのか。
いまも、分からない。
いや、離婚する私は、
その答えを知らないまま終えるのかもしれない。
ここまできたいまは、子ども自身が「受験して、私立で良かった」と思える将来を
手に入れて欲しいと願うだけ。
ただひとつ分かるのは、
あのときの私は、
「正しいと思っていたもの」にしがみついていた、そうせざるを得なかった。
受験は止まらなかった。
そして私は、
終わると分かっている日常の中に立ち続けていた。
離婚が決まっても家を出られなかった理由については、こちらの記事にまとめています。
https://restart-log.com/could-not-leave-home/
離婚の記録|実体験シリーズ
このブログでは、離婚に至るまでの経緯と、その後の出来事を実体験として記録しています。
時系列で読めるようにシリーズとしてまとめています。
① 離婚に至るまでの経緯
② 離婚を躊躇した理由
③ 離婚を決断した日
④ 離婚が決まっても家を出られなかった理由
⑤ 受験という現実(この記事)
⑥ 終わると分かっていた家族の日常
⑦ 面接をこなすたび削れていく気持ち
⑧ 子どもと過ごす時間の重さ
⑨ 同じ家にいる他人


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