前回の記事では、離婚できずに過ごした一年について書きました。
離婚を決断するまでは、関係を修復しようと考えていました。それでも心のどこかで、何度か「離婚」という言葉が浮かぶ瞬間はありました。
けれど、私はその一歩を踏み出すことができませんでした。
今回は、私が離婚を躊躇してきた理由について、振り返ってみようと思います。
世間体が怖かった
正直に言えば、世間体が怖かった。
私はずっと、「どう思われるか」を気にして生きてきた。
大学からの付き合いで、共通の友人も多い。
結婚のときはたくさんの人に祝ってもらったし、周囲からは「うまくやっている夫婦」だと思われていた。
職場でも同じだった。
世帯収入も安定していて、都内でそれなりに高いマンションを購入し、子どもが生まれてからは「理想の家族」「理想の父親」と言われることもあった。
職場や身近な友人たちの中では、結婚や出産といった”幸せが増えていく”話題が当たり前のように続いていた。私は子どものことをよく自慢もしていた。
その中で、自分だけが離婚し、子どもと離れる側になることに、どこか「負け組」のような感覚を抱いていた。
そう見られることも、正直怖かった。
だからこそ、離婚という言葉はどこか“失敗”のように感じていた。
子どもが生まれてからは、行事やお迎えでの早退、看病のための欠勤など、職場にもたくさん迷惑をかけてきた。
それなのに離婚する、と伝えることに後ろめたさもあった。
親にも言いづらい。
相手の親にも恩がある。
「うまくいっている」と思われている中で、それを壊すのは自分だという感覚が、ずっと怖かった。
親や祝ってくれた人への申し訳なさ
世間体とは少し違う意味で、強い申し訳なさもあった。
両親は、結婚そのものを大きく喜んでいたわけではないかもしれない。
でも、きっと安心はしていただろうし、孫が生まれたときは本当に喜んでくれていた。
結婚式では、たくさんの人に祝ってもらった。
雑誌に載るほど評判もよく、祝福の言葉に包まれていたあの時間は、今でもはっきり覚えている。
相手の親も、付き合っている頃からよくしてくれていた。
私の実家とは違い、経済的にも余裕があり、子どものことでもいろいろ援助をしてくれた。
だからこそ、その人たちを悲しませる決断をすることが、どうしても申し訳なく感じていた。
祝福してくれた時間を、自分が裏切るような気がしていた。
子どもと離れる未来の怖さ
もともと、私は子どもがずっと欲しかった。
親バカかもしれないが、本当に可愛かった。
応募した写真がノミネートされ、看板になったこともある。
それほど、人に自慢したくなる存在だった。
自分の分身のようで、よく懐いてくれて、
いつの間にか「自分のすべて」のように思っていた。
子どもといる時間は、たしかに幸せだった。
我慢する価値はあると思っていたし、
私立の小学校に通わせたい、環境を整えてあげたい、
将来がとにかく楽しみだった。
そんな存在を、身近で見られなくなる。
毎日会えなくなる。
それは、想像するだけで恐怖だった。
そしてもう一つ、怖かったことがある。
妻が私に向けている負の感情が、
私がいなくなることで子どもに向いてしまうのではないかという不安だった。
たまに過度に叱る姿を見てきたからこそ、
その可能性を考えずにはいられなかった。
何より怖かったのは、
周囲から「子どもを捨てた父親」と思われることだった。
そして、いつか子ども自身にそう思われるかもしれないこと。
実際、家を出るとき妻からは
「私たちを捨てて女をとった」と言われた。
その言葉は、今でも胸に残っている。
一人になる怖さと、人生をやり直す不安
一人になるのは、寂しいし、正直怖かった。
でも本当は、寂しさよりも
「何者でもなくなる」ことのほうが怖かったのかもしれない。
結婚して、父親になって、家を買って、
それなりの会社で働き、
周りからは「うまくやっている人」に見られていた。
それが全部なくなったら、
自分には何が残るのだろう。
夫でもなくなる。
毎日子どもを迎えに行く父親でもなくなる。
ただの、バツのついた男。
年齢だけは重ねていて、
でも中身は、何も成し遂げられていないような気がしていた。
この歳で、また恋愛をするのか。
また一から関係を築くのか。
価値観をすり合わせて、家族になるまでの長い時間を、もう一度やるのか。
正直、そんな気力が自分にあるのか分からなかった。
もし再婚できたとして、
新しく子どもができたら、自分は何歳になっているんだろう。
体力はもつのか。
ちゃんと責任を持てるのか。
そもそも、誰かが自分を選んでくれるのか。
そしてもう一つ、よく考えていたことがある。
子どもが大きくなり、社会に出る頃まで、
夫婦という形だけを保つ選択もあるのではないか、と。
今は苦しくても、
あと十年、十五年耐えればいいのではないか。
そうすれば、子どもへの影響も少ないかもしれない。
世間体も守れるかもしれない。
けれど、そのとき自分は何歳になっているだろう。
その年齢で離婚し、
そこから一人で生き直すほうが、
今よりもずっと孤独で、ずっと厳しいのではないか。
セカンドライフという言葉は聞こえがいい。
でも現実は、体力も気力も削られた状態での再出発かもしれない。
その未来を想像するたび、
「今」なのか、「先延ばし」なのか、
自分の中で何度も揺れていた。
周りは家族が増えて、家を買って、
“積み上げている”ように見えるのに、
自分だけがゼロに戻る。
それは、人生をやり直すというより、
人生を失敗した証明のように感じていた。
家に帰っても、誰もいない部屋。
休日に予定のないカレンダー。
体調を崩しても頼れる人がいない夜。
そんな未来を想像するたびに、
離婚という選択が、急に現実味を帯びてきて、足が止まった。
強くもない。
自立しているわけでもない。
本当は、誰かの隣にいないと不安になる人間だ。
だから、決断できなかった。
お金という現実と、積み上げたものを失う怖さ
感情だけではなかった。
現実的な問題も、正直大きかった。
家のローンはまだ残っている。
これまで何年もかけて払い続けてきた。
「あの支払いは何だったんだろう」
ふと、そんなことを思ってしまう自分がいた。
離婚すれば、家を出る可能性もある。
それでもローンは残る。
養育費もある。
自分は、やっていけるのか。
世帯としては安定していた。
どちらかといえば、経済的な土台は妻側のほうが強かった。
正直に言えば、自分の資産はそこまで厚くない。
生活水準を落とすことになるかもしれない。
今まで当たり前だった環境は失われる。
それは贅沢ができなくなる、という話ではなく、
「安全な場所」を失う感覚に近かった。
もし新しい家族ができたらどうなる。
養育費を払いながら生活していけるのか。
老後は。貯蓄は。
頭では計算しても、不安は消えなかった。
離婚は感情の問題だと思っていた。
でも実際は、人生設計を一度壊す決断だった。
積み上げてきたものを、自分の手で崩す。
それが怖くないはずがなかった。
壊れる前に終わらせたかった
家の中で、少しずつ自分が削れていった。
会話は減り、
視線は合わず、
どこか責められているような空気の中で過ごす日々。
妻の機嫌を損ねないように、言葉を選び、
タイミングを測り、必要以上に謝ることもあった。
正直、自分が悪くないと思っているときもあった。
それでも波風を立てないために頭を下げてきた。
その積み重ねが、少しずつ心をすり減らしていった。
何よりつらかったのは、
そんな姿を子どもに見せ続けていることだった。
父親が、遠慮している。
本音を飲み込んでいる。
小さくなっている。
そんな背中を見せることが、情けなかった。
このまま続ければ、
父親ではいられるかもしれない。でも、「自分」は確実にすり減っていく。
そんな感覚があった。
そんなとき、彼女と出会った。
何かを壊そうとしたわけじゃない。
ただ、一緒にいるときだけ、肩の力が抜けた。
否定されない時間があった。
無理をしなくてよかった。
自分らしくいられると思った。
そしてあるとき、彼女に言われた。
「本当に二人目の子どもがほしいの?
もっと自分を殺すことになるよ」
その言葉に、はっとした。
兄弟がいたほうがいいとは思っていた。
でも、強く望んでいたかと聞かれると、正直わからない。
妻が「つくりたい」と言い、
自分はそれに従うほうが大きかった。
反対するほどの強さもなく、流れに乗るほうが楽だった。
また、自分の本音を考えないまま、この家での
「父親として正しそうな選択」をしようとしていたのかもしれない。
そのとき初めて思った。
自分はどこまでいっても
誰かに合わせて生きているだけなんじゃないか、と。
その瞬間、気づいた。
ああ、自分はもう限界だったのかもしれない、と。
彼女がいなかったとしても、
きっといつか壊れていたと思う。
時間の問題だった。
でも、彼女と出会ったことで、
自分がどれだけ無理をしていたのかを、はっきりと自覚してしまった。
そして、関係がバレた。
止まっていた現実が、一気に動いた。
正直に言えば、
もう夫婦として続ける未来より、
終わらせる未来のほうが現実的に思えた。
彼女と一緒になれるかもしれない。
そう考えたこともある。
けれど最終的に残ったのは、
彼女と結ばれるかどうかではなかった。
壊れたまま生きるのか、
壊れる前に終わらせるのか。
その選択だった。
逃げかもしれない。
失敗かもしれない。
それでも、壊れてからでは遅いと思った。
だから、終わらせるほうを選んだ。
躊躇は、何度もした。
失うものが多すぎたからだ。
それでも最後に選んだのは、
壊れていく未来ではなかった。
あのときの迷いも、恐怖も、すべて本物だった。
それでも、進むほうを選んだ。
決断は、終わりではなかった
ここまで書いてきたように、
私には、離婚が頭をよぎっても、躊躇してきた理由がいくつかありました。
世間体も、親も、子どもも、生活も、
守りたいものが多すぎたからです。
そして自分の弱さも。
けれど、関係が発覚したことで、
状況は一気に動きました。
覚悟が固まった、というよりも、
覚悟せざるを得なくなった、というほうが正確かもしれません。
もう元には戻れない。
中途半端なまま続けることもできない。
私は離婚を選びました。
ただ、そのとき思っていたよりも、
現実はずっと複雑でした。
離婚はすぐには成立しない。
家を出られない時間が続く。
公正証書という現実的な契約。
そして何より、自分が守りたかったはずの人との関係さえ、
簡単ではなかった。
決断は、終わりではありませんでした。
むしろそこからが、
本当の始まりでした。
この後、私は想像以上に現実と向き合うことになります。
次は、離婚を切り出した日のこと、
そして決断のあとに待っていた現実について書こうと思います。
私が実際に離婚を切り出した日のことはこちらに書いています。



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