面接をこなすたび削られていく気持ち

離婚の記録
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小学校受験は、子どもだけの受験ではない。
家族で挑むものだと言われる。

家庭の方針。
両親の姿勢。
日々の関わり方。

すべてが見られる世界だ。

だからこそ、
家族が一つであることが前提になる。

けれどその頃の私たちは、
すでに一つではなかった。

それでも受験は止まらない。

壊れかけた家庭を、
整ったかたちに見えるよう、
私は面接の準備をしていた。

面接は一日で終わる。
だがその準備の時間は、
静かに、確実に、私を削っていった。

受験準備という“作られた家族像”

小学校受験は、家族の受験だと言われる。

だから準備は、子どもだけのものではない。

家庭の教育方針を書く。
学校の教育理念と、どう一致しているのかを説明する。
その方針を裏づける具体的なエピソードを用意する。

志望校ごとに、言葉や内容を調整する。

この学校にはこの家庭像。
あの学校には少し違う強調点。

何校も受けるということは、
その作業を何度も繰り返すということだった。

しかもそれは、
願書を書く時期や受験当日だけの話ではない。

年少の頃から、
見学会、体験授業、運動会、説明会。

公開されているものはほとんど足を運んだ。

志望校の数 × 3年間 × 毎年の行事。

数えきれないほど、
学校を訪れていた。

本来なら、
未来を思い描く時間のはずだった。

けれど最後の年、
その訪問さえ苦痛になっていた。

私はすでに、
精神的に弱っていた。

学校研究をしなければならないのに、
文章が頭に入ってこない。

教育理念を読んでも、
心が動かない。

受験への熱は、
正直、冷めていた。

それでも、整えなければならない。

壊れていると分かっている家庭を、
整った家族として語る準備。

受験準備は、
静かに、私を削り続けていた。

家での面接練習

面接の練習は、塾だけではなかった。
家でも繰り返された。

妻が先生役を務めた。

どんな質問が来るか。
どう答えるか。
言葉の順番。
表情。
間。

妻はそういう場に強い人だった。
学校の特色を正確に理解し、
家庭の方針を整理し、
言葉を組み立てる。

私の回答も、妻が作った。
各学校に合わせて作られた文章。

よくできていると思った。
文句はなかった。

ただ、それは私の言葉ではなかった。

一方で、
「ここは自分で考えて」と言われる質問もあった。

父親として何を大切にしているか。
どんな関わりをしているか。

私は、自分なりに考えて答えを作った。

理想的な父親像に近い内容だったと思う。
試験用だと分かっていたからだ。

それは妻の文章も同じだった。

受験用の家庭像。
それが前提だった。

けれど、
何か衝突が起きると、こう言われた。

「あそこにはああ書いているのに、全然そんな人間じゃない」
「よくあんなこと書けるね」

胸がざわついた。

これは試験用だ。
求められている家庭像に合わせているだけだ。
もうそんな家庭じゃないことくらい、分かっているはずだ。

お互い、分かっていたはずだった。

やらせておいて、
その理想で責められる。

それが、苦しかった。

面接練習の日、
私の準備不足もあった。
そこは否定できない。

妻の指摘はいつも上からだった。
その言い方はないだろうと
どうしても思ってしまう。

離婚を決める前なら、
飲み込めていたかもしれない。

けれどその頃の私は、
もう以前のようには受け入れられなかった。

口ごたえをする。
衝突になる。

面接練習の日は、
確実に空気が悪くなった。

出来が悪いと叩かれることもあった。
思いきり爪を立てられたこともある。

その頃の私は、精神科に通っていた。

気持ちを持ち上げられない日があった。

明るく前向きな父親として
練習に向き合えない日もあった。

面接練習の日は仕事を終えて家に帰るのが、憂鬱だった。

壊れた家庭の空気の中で、
整った家族を演じる練習をする。

心が削られる音が、
自分の中ではっきり聞こえていた。

塾での模擬面接

面接練習は家だけでは終わらなかった。

塾でも、模擬面接が何度も行われた。
本番より半年以上前から、すでに始まっていた。

教室に通され、先生が面接官役を務める。
質問は本番と同じ形式。
入室時から空気も、緊張感も、できるだけ本番に近づけてある。

先生たちはプロだった。

言葉の揺れ。
視線の動き。
夫婦の呼吸のずれ。

細かなところまで見ている。

「今の間が少し気になります」
「ご家庭の教育方針、もう少し学校に合うものに」
「お父さん、ここはお父さんが率先して話してください」

責められているわけではない。
改善点を伝えられているだけだ。

うちが妻主導の家庭であることも、
先生たちは理解していた。

だからこそ言われる。
「お父さん、ここは頑張りましょう」

理解はできる。

私も、それなりに準備して臨んでいた。
それでも、妻があまりに整っている分、
私は“強化対象”になる。

それも分かる。

だから、やる。

けれど、心が削られる。

模擬面接は練習だけではなかった。

「この学校は、こういうエピソードがあると強いです」
「今から〇〇の経験を増やしておきましょう」

そんな具体的な助言もあった。

家庭の方向性を整え、
学校に合う物語を準備していく。

学校ごとに合わせた父親像。
教育方針と一致する家庭エピソード。

文章は整っていく。

よくできていると思う。

けれど、心のどこかで思っていた。

もう、
作り直せる家庭ではない。

それでも、物語は完成していく。

壊れている現実と、
完成していく家族像。

その差を、
私は静かに飲み込んでいた。

塾を出たあと、すぐに私たちは離れ
私は一人で帰る。

帰り道は、
ひとまず今日が終わったとことに安堵した。

その日の夜には、
妻から振り返りがある。

本番はまだ先なのに、
もう何度も落とされた気分だった。

面接は、
試験当日だけのものではない。

半年以上前から、
少しずつ心を削っていく時間だった。

子どもが語る母中心の家庭

面接では、当然子ども中心に質問がある。

家族について。
お父さん、お母さんについて。
どんなことを一緒にしているか。
思い出の旅行は?

塾での練習の中で、
子どもがとっさに話すエピソードを聞いた。

そこに、私はあまり出てこなかった。

出てきても、順番が違う。

「お母さんは――」

父、母ではなく、
母、父。

母の話のほうが具体的で、
エピソードも豊かだった。

私たちは、父の話から始めるように準備してきた。
けれど、想定外の質問になると
子どもの口から出てくるのは、やはり母の話だった。

塾の先生にも言われる。
「お父様のお話から始められるといいですね」

でも、それは当然だった。

この一年、
家庭の中心にいたのは妻だ。

私は、
少しずつ距離を取っていた。

絵画も受験には必要だった。

子どもが描いた家族の絵を見たことがある。

そこに、私はいなかった。

母と子どもだけの絵。

責める気持ちはなかった。
驚きも、怒りもない。

ただ、静かに現実を突きつけられた。

家庭から手を引くと決めた。
二度と会わないと決めた。

その結果が、
ただ形になって現れているだけだった。

私は、自分でこの状況を作っていった。

その空白を、
子どもはそのまま描いただけだった。

本番の日、父親を演じる

受験本番は、9月から11月にかけて続いた。

いくつかの学校を受け、
本当に行きたい学校は11月に集中している。

日が近づくにつれて、憂鬱だった。

緊張というよりも、
家族を演じる時間がまた来るという重さだった。

単純に、家族ごっこをするのが嫌だった。

それだけではなかった。

この時期、彼女との関係も揺れていた。

試験当日は仕事を不自然に休む。
受験と言えば傷つける。
父親でいる私を想像するから。
言わなければ隠していることになる。

どちらにしても、
彼女によく思われないことは分かっていた。

正解がなかった。

本番が近づく頃、
私たちは一度、離れることになった。

「受験を本気でやり切ってほしい」
「私も受験も中途半端なままにしないで欲しい」
「受験が終わったらまた会おう」

彼女はそう言った。

私も、その言葉の正しさは理解していた。

あと何日で子どもに会えなくなるのかを数えながら、
同時に、彼女の元に戻りたいとも思っていた。

どちらも本気だった。
けれど正直に言えば、
彼女への想いの方が強くなっていた。

受験が終わったら、
また彼女のもとに戻れると思っていた。

そのときの私は、
それを疑っていなかった。

面接当日。

朝は、妙に静かだった。

スーツに袖を通し、
鏡の前に立つ。

今日は揺れてはいけないと、自分に言い聞かせる。

家庭の事情も、
覚悟も、
迷いも。

全部、外に置いていく。

学校に着くと、
整った家族が並んでいる。

父と母がそろい、
静かに子どもを励ましている。

私はその列に立つ。

壊れていることも、
削られていることも、
ここでは関係ない。

呼ばれて入室する。

姿勢を正す。
笑顔をつくる。
声のトーンを整える。

家庭の教育方針。
父親として大切にしていること。
子どもとの関わり。

練習してきた言葉を、
順番通りに出していく。

矛盾は見せない。
迷いも見せない。

“いい父親”として話す。

子どもが答える。

面接は終わる。

深く頭を下げて、
部屋を出る。

達成感はなかった。

ただ、
役割を果たした感覚だけがあった。

私は父親を演じきったのか。
それとも、
ただこなしただけなのか。

分からない。

けれど確かに、
この数か月で何度も演じ、
そのたびに少しずつ削れてきた。

受験が終われば、
この日常も終わる。

最終受験日の翌日、
私は家を出ることになっていた。

それでもこの日は、
最後まで父親でいなければならなかった。

本番という舞台の上で、
私は最後まで、父親を演じた。

受験が終わった日に思ったこと

受験が終わった。

結果はまだ分からない。
それでも、とにかく終わった。

まず思ったのは、
やっと終わった、という安心だった。

この数か月、
演じ続けてきた役割。

父親として、
受験生の親として。

その約束を、
最後まで果たしたという感覚があった。

うまくいったかどうかは分からない。
けれど、自分のせいで受験を壊すことはなかった。

それだけで十分だった。

そしてもうひとつの安心。

妻と離れられる、ということ。

壊れたまま続けてきた日常から、
ようやく抜け出せる。

最終受験日の翌日、
私は家を出ることになっていた。

それも、決まっていた。

子どもとは、二度と会わないと決めていた。

その現実は、確かにあった。

けれど正直に言えば、
その瞬間、子どもへの感情が
一番大きかったわけではなかった。

それよりも強かったのは、
彼女のもとにどう戻れるか、だった。

受験が終わったら、また会える。

また始められる。

そう思っていた。

この数ヶ月、
彼女にも受験にも、中途半端でいないでほしいと言われた。

「ちゃんとやり切ってから考えよう」

彼女の言葉は、正しかった。

だから私は、やり切った。

その日の午後、彼女に会った。

私は実家に戻る予定だった。
いままでほとんど寄り付かなかった実家。

ちゃんと親孝行をして、
仕事でも恩返しをして、
離婚もきちんと終わらせて。

「私たちはそれからじゃない?」

彼女はそう言った。

いますぐ元に戻るわけではない。

少しがっかりした。

けれど、別れが決まったわけではない。

まだ可能性はある。

そう思えた。

それなら、やろう。

親に向き合い、
仕事に向き合い、
自分を立て直す。

受験が終わったこの日、
私は少し前向きだった。

明日から新しい生活が始まる。

父親としての役割は終わる。

この関係を、家族と呼ぶ気持ちは、もうなかった。

けれど、
自分の人生は、ここからやり直せるのかもしれない。

そう思っていた。

後にすべてが終わるとは、
このときの私はまだ知らなかった。

離婚の記録|実体験シリーズ

このブログでは、離婚に至るまでの経緯と、その後の出来事を実体験として記録しています。
時系列で読めるようにシリーズとしてまとめています。

離婚に至るまでの経緯
離婚を躊躇した理由
離婚を決断した日
離婚が決まっても家を出られなかった理由
受験という現実
終わると分かっていた家族の日常
⑦ 面接をこなすたび削れていく気持ち(この記事)
子どもと過ごす時間の重さ
同じ家にいる他人

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