離婚は、もう決まっていた。
気持ちが戻ることも、
夫婦としてやり直すことも、
もうないと分かっていた。
それでも私は、すぐには家を出られなかった。
不貞があった以上、
私には条件を飲む以外の選択肢はほとんどなかった。
離婚の形も、今後のことも、
決められた流れの中で進んでいくしかなかった。
子どもの受験もあった。
早い段階で公正証書を交わし、
夫婦として曖昧に続けないことも決まっていた。
それなのに、生活だけは続いていた。
最初はまだ、
普通の家庭のような時間も残っていた。
けれど少しずつ、
私は家の中の役割から自分で手を引いていった。
家庭の中心から離れ、
生活は外へ、気持ちはもっと外へ移っていった。
離婚が決まっているのに、
同じ家で暮らし続ける。
その一年が、
どんな時間だったのかを書いておきたい。
最初はまだ普通の生活だった
離婚は決まっていた。
それでも、最初の頃は
まだ生活の形だけは残っていた。
平日は仕事に行き、
お迎えに行き、
家に帰る。
食事の時間も、
最初の頃は同じ空間にいた。
会話があるわけではない。
夫婦として何かを話すこともない。
それでも、
生活の流れだけは続いていた。
週末も、最初の頃は
家にいる時間があり、
塾に連れて行くこともあった。
子どもと過ごす時間も、
まだ残っていた。
けれどそれは、
もう以前と同じものではなかった。
夫婦としての会話はほとんどない。
必要なことだけが交わされる。
家の中に、
見えない線が引かれているようだった。
それでもその頃はまだ
完全に生活が分かれていたわけではない。
普通の家庭のように見える瞬間も、
まだ残っていた。
ただ、その形は
静かに壊れ始めていた。
週末、私は家を出るようになった
離婚が決まってから、
家で過ごす時間は最初から減っていた。
私は、
彼女との関係を続けることを
最初からはっきり伝えていた。
だから土日は、
どちらかが家を出ることが多かった。
それでも、
子どもの習い事にはまだ関わっていた。
土曜日は塾に連れて行き、
日曜日はスイミングに連れて行く。
そんな週末もまだ残っていた。
年中の秋から、
土日は両方とも塾になり、
スイミングはやめた。
その頃から、
家庭の中の役割も少しずつ変わっていった。
妻は
「あなたに任せられない」と言い、
塾はすべて自分で行くようになった。
それまで私が持ち帰っていた
塾のメモや勉強の進め方にも
はっきりと不満を持っていた。
成績が上がらないのは
私の教え方のせいだとも言われた。
それを聞いたとき、
ああ、信頼はないんだなと
はっきり分かった。
本当は、
土日のどちらかは
私が塾に行くつもりだった。
けれど妻は
「全部自分で行く」と言った。
その頃から、
勉強を見ることにも
少しずつ関わらなくなっていった。
家庭のことから完全に手を引くよりも前に、まず勉強から
距離を置くようになっていった。
彼女の予定に合わせて
外で過ごすことが増えていった。
土日の両方会うこともあった。
ときには旅行にも出かけた。
彼女に会う日は、
朝から家を出た。
ほとんど一日一緒に過ごし、
帰るのは夜遅くなることが多かった。
同じ家に住んでいても、
生活の重心は
少しずつ外へ移っていった。
家庭から手を引いた日
冬になる頃、
私は妻に伝えた。
家庭のことから手を引くと。
勉強を見ることも、
家のことに関わることも、
もうやめると決めた。
彼女との関係を優先することも、
はっきり伝えた。
それを聞いた妻は言った。
「勉強を見ないなら、
部屋から出てこないで。
邪魔だから。」
私は、
受験のやり方にも疑問を持つようになっていた。
必要以上に厳しく叱ることもあり、
それを止めに入ることもあった。
「そこまでやる必要あるのか」
「受験、やめてもいいんじゃないか」
そんな言葉を
口にするようにもなっていた。
それが、
余計に邪魔だったのだと思う。
その日から、
私はほとんど自分の部屋にいるようになった。
家事もやめた。
お迎えにも行かない。
勉強も見ない。
それまで
料理以外の家事は
ほとんど私がやっていた。
子どものお迎えも、
勉強も、
ずっと私が関わってきた。
けれど、
その役割も手放した。
自分で、
家庭から距離を置いていった。
家の中にいても、
生活はもう別だった。
私は自分の部屋にいて、
リビングにはほとんど行かない。
同じ家にいながら、
家庭の外にいるような感覚だった冬になる頃、私は妻に伝えた。
家庭のことから手を引くと。
勉強を見ることも、
家のことに関わることも、
もうやめると決めた。
彼女との関係を優先することも、
はっきり伝えた。
それを聞いた妻は言った。
「勉強を見ないなら、
部屋から出てこないで。
邪魔だから。」
私は、
受験のやり方にも疑問を持つようになっていた。
必要以上に厳しく叱ることもあり、
それを止めに入ることもあった。
「そこまでやる必要あるのか」
「受験、やめてもいいんじゃないか」
そんな言葉を
口にするようにもなっていた。
それが、
余計に邪魔だったのだと思う。
その日から、
私はほとんど自分の部屋にいるようになった。
家事もやめた。
お迎えにも行かない。
勉強も見ない。
それまで
料理以外の家事は
ほとんど私がやっていた。
子どものお迎えも、
勉強も、
ずっと私が関わってきた。
けれど、
その役割も手放した。
自分で、
家庭から距離を置いていった。
家の中にいても、
生活はもう別だった。
私は自分の部屋にいて、
リビングにはほとんど行かない。
同じ家にいながら、
家庭の外にいるような感覚だった
家は寝る場所になった
家庭のことから手を引いてから、
家で過ごす時間の意味も変わっていった。
平日は、
彼女と食事に行くこともあった。
そういう日は、
少し遅い時間に帰る。
彼女と会わない日は、
ジムに行くことが多かった。
そのあと、
自分のご飯だけ買って帰る。
家で簡単に作ることもあれば、
弁当を買って帰ることもあった。
食事は、
自分の部屋で一人で食べた。
子どもは保育園から帰ってくるのが
だいたい十九時半頃だった。
家に帰ると、
リビングのダイニングテーブルで
勉強が始まる。
リビングの奥には洋室があり、
そこにも机が置かれていた。
妻と子どもは
そちらで勉強していることもあった。
できるようにしなければいけないことが多く、
気づけば
毎日夜中近くまで机に向かっていた。
寝るのは
だいたい夜の十二時頃だった。
まだ小さな子どもなのに、
そんな生活が
当たり前になっていた。
同じ家の中にいて、
顔を合わせることもある。
けれど、
そこに会話はない。
私は、
妻や子どもと時間が重ならないように
タイミングをずらして風呂に入った。
どうしても妻が仕事で行けない日は、
私がお迎えに行くこともあった。
保育園を出るときに打刻するため、
何時に出たかは分かる。
私は自転車や電車で行くことが多く、
家まで少し時間がかかった。
それでも帰ると
「何してたんだ」
「遅い」
と怒られることがあった。
仕方のないことでも、
「使えない」と言われた。
私は何も言わず、
そのまま自分の部屋に戻った。
それまで私は、
家の掃除や片付けを
一人でやっていた。
家の隅々まで掃除をして、
洗濯も回して、
畳んでいた。
けれど家庭から手を引くと決めてからは、
自分の使う場所しか掃除をしなくなった。
自分の部屋。
トイレ。
風呂。
キッチンも少し。
それだけだった。
ゴミはまとめて出す。
けれど、
以前のように家のことをすることは
もうなかった。
洗濯も、
みんなの分はやらない。
リビングなど、
私が掃除しなくなった場所は
少しずつ散らかっていった。
それでも
それは私のせいだと言われた。
風呂もそうだった。
「湯船は使わないでほしい」
「あなたの後は入りたくないから」
そう言われてから、
私は湯船を使わなくなった。
以前は
私が風呂も掃除していた。
けれど
もう湯船を掃除することもなくなった。
風呂には
二枚の蓋があった。
妻は
いつも片方を閉めたままにしていた。
あるとき
ふと蓋を持ち上げてみた。
垢が
びっしりと付いていた。
湯船の中も
きっと同じような状態だったと思う。
それでも
子どもが入る場所だった。
だから
ときどきだけ
湯船は掃除した。
妻は
裸を見られたくないからと、
廊下に物を置いて
簡単なバリケードまで作っていた。
子どもも一緒になって
楽しそうにやっていた。
私は
それ以上近づかなかった。
揉めたくもなかった。
ただ、
部屋の中で待っていた。
家は、
生活をする場所ではなくなっていた。
ただ帰って、
寝るための場所になっていった。
同じ家にいる他人
同じ家に住んでいても、
もう家族ではなかった。
顔を合わせれば、
舌打ちされることもあった。
妻と子どもの会話の中で、
私は「あの人」と呼ばれていた。
子どもと一緒に、
私のことを「クズ」と言う声が
聞こえてくることもあった。
「パパなんて出ていけ」
そんな言葉が聞も
珍しくなかった。
私は何も言わなかった。
言い返せば、
また空気が荒れるだけだった。
必要なことがあるときだけ、
妻は私の部屋に入ってきた。
「この日はお迎えに行って」
「これ印刷して」
そんな用事だった。
直接言われることもあれば、
家にいても
LINEで送られてくることもあった。
言った言わないにならないように、
あえてLINEでやり取りすることもあった。
生活は、
すでに契約の上に成り立っていた。
離婚が決まったとき、
私たちは公正証書を作っていた。
家を出るまでは
毎月決められた金額を支払う。
家を出たあとは
養育費に切り替わる。
そういう内容だった。
最初の頃は
まだ同じ空間で食事もしていたし、
その金額にも納得していた。
けれど家庭のことから手を引いてからは、
生活の形も変わった。
私は食事を外で済ませることも増え、
家では自分で作って
自分の部屋で食べる。
使っているのは
自分の部屋だけだった。
それでも
支払う金額は変わらない。
仕方ないと思った。
そこは何も言わなかった。
ただ、
ときどき言われることがあった。
「それは契約に入っていないから」
そう言って、
別にお金を求められることがあった。
もともとは
娯楽費のようなものも含めて
計算されていた金額だった。
けれど私は
もうそういう時間に関わっていない。
それでも、
お金の話は続いた。
私はそこで
揉めるつもりはなかった。
ただ、
そのやり取りを聞きながら思っていた。
これはもう
家庭ではなく
契約なのだと。
そんな空気の中でも、
子どもが私の部屋に来ることがあった。
そっと扉を開けて、
少しだけ顔を出す。
「ママに見つかるから、戻るね」
そう言って、
急いで部屋を出ていく。
その背中を、
私は何度も見送った。
あんなに
「パパなんて出ていけ」と
言っていたのに、
最後の頃には
言葉が変わっていた。
「ほんとに出ていっちゃうの?」
私は
正直に答えた。
「出ていくよ」
それ以上、
何も言えなかった。
その頃、
よく思っていたことがある。
家の外で一人でいるときは、
淋しいとは思わない。
けれど家の中では、
強く一人を感じた。
すぐ近くでは
妻と子どもが笑っている。
その輪に入りたいわけではない。
ただ、
自分だけが
全く違う場所にいるようだった。
本当にそばにいたい人のもとに
行きたいのに、
ここにいなければならない。
どうして
ここにいなければならないのか。
そんなことを
よく考えていた。
一人が淋しいわけじゃなくて
一人と思うことが淋しい。
こうして同居生活は続いた
こうして、
離婚が決まっている夫婦の同居生活が続いた。
家の中での会話は、
受験に関することくらいだった。
それ以外は、
ほとんど言葉を交わさない。
同じ家に住んでいても、
生活は完全に別だった。
私は自分の部屋にいる。
食事も別。
できるだけ顔を合わせないように
何もかも時間をずらしていた。
家は、
ただ帰って寝るための場所になっていた。
それでも、
すぐに出ていくことはできなかった。
子どもの受験があった。
それが終わるまでは、
この生活を続けるしかなかった。
正確に言えば、
離婚決定から家を出るまで
一年半ほどだった。
家庭のことから手を引いてからの時間は、
約一年。
その時間は
とても長く感じられた。
同じ家の中で、
ほとんど他人のように暮らす。
そんな生活が、
受験が終わる日まで続いた。
そしてその先に、
家を出る日が待っていた。
離婚の記録|実体験シリーズ
このブログでは、離婚に至るまでの経緯と、その後の出来事を実体験として記録しています。
時系列で読めるようにシリーズとしてまとめています。
① 離婚に至るまでの経緯
② 離婚を躊躇した理由
③ 離婚を決断した日
④ 離婚が決まっても家を出られなかった理由
⑤ 受験という現実
⑥ 終わると分かっていた家族の日常
⑦ 面接をこなすたび削れていく気持ち
⑧ 子どもと過ごす時間の重さ
⑨ 同じ家にいる他人(この記事)

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