離婚が決まっても家を出られなかった理由

離婚の記録
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離婚を決断した。
もう戻らないと決めた。

けれど、私はすぐに家を出ることができなかった。

受験が終わるまでは離婚しない。
それが条件だったからだ。

決断したはずなのに、
翌日も同じ家で目を覚まし、
同じ食卓に座り、
同じ父親として振る舞っていた。

何も変わらない日常の中で、
ただ一つだけ違っていたのは、
この時間が“終わると分かっている”ことだった。

受験が条件だった

妻から提示された条件は明確だった。

子どもの小学校受験が終わるまでは、離婚には応じないというものだった。

入学が決まるまでは、家庭環境を変えないこと。
それが最優先だった。

私に強く拒む選択肢はなかった。

関係が発覚している以上、自分の立場が弱いことは理解していた。
ここで争えば、状況はさらに悪化するだけだとも思った。

離婚は決めたはずだった。
けれど、受験が終わるまでは、何も動かない。

同じ家に住み、同じ空間で生活していたが、以前のような家族では、もうなかった。

形は残っていても、その中身はすでに変わっていた。

それでも、受験が終わるまでは、この状態を続けるしかなかった。

すぐに出ていけない現実

離婚自体は決まっていた。

けれど、生活は何も変わらなかった。

毎日、子どものお迎えに行き、
受験の勉強を一緒に見て、
面接の練習をする。

父親としてやるべきことは、これまでと同じように続いていた。

手続きを進めることもできず、
家を出ることもできない。

外から見れば、変わらない家庭だったと思う。

ただ、自分の中では、すでに何かが終わっていた。

それでも私は、
その場所に立ち続けていた。

それが、当時の現実だった。

終わると分かっている家族の日常

朝は、ひとりで静かに起きて出ていく生活だった。

以前は、出勤前に必ず子どもの顔を見てから家を出ていた。
それが、できなくなっていた。

家庭の中に、もう私の笑い声はなかった。

子どもと遊ぶことはあった。
勉強も見たし、面接の練習もした。

けれど、心のどこかで、
常に「終わり」があった。

あと何日だろう。
あと何回、顔を合わせられるだろう。

終わりがあると分かっている子どもとの時間は、素直に楽しむことが難しかった。

もともと、受験には賛成だった。
できるだけ良い環境で学ばせたいと思っていた。

けれど、夫婦の溝が深まるにつれ、
その気持ちにも少しずつ揺らぎが生まれていた。

この年齢で、毎日何時間も勉強をすること。
休みの日も塾に通うこと。

本当にこれが、この子にとって最善なのか。

そう思う瞬間もあった。

けれど、私はもう強く主張できる立場ではなかった。

離婚の条件にも関わる問題だったからだ。

受験という現実の中にも、
静かな歪みが生まれていた。

早くこの状態を終わらせて次に進みたい気持ちと、
子どもと過ごす時間の重さは、
まったく逆の方向を向いていた。

その間で、私は揺れていた。

家族の時間と、壊れていく関係

離婚は決まっていた。
それでも、家を出ることはできなかった。

受験が終わるまでは離婚しない。
それが条件だった。

私はそれを飲み込むしかなかった。

子どもの送り迎えをし、
勉強を見て、塾の予定を確認し、
父親としての役割を続ける。

夫婦関係はすでに終わっていた。
けれど生活は続いていた。

受験をやり切ることは、
私にとっては一番早く離婚を成立させるための通過点だった。

無理に条件を崩せば、
余計に話がこじれるかもしれない。
彼女に何かが及ぶかもしれない。

将来を守るための選択だと、本気で思っていた。
自分の中では最善だった。

けれど、それは彼女にとっては関係のない話だった。

「それはあなたと奥さんが決めたことでしょう」

その通りだった。

実は、もっと早い段階で兆しはあった。

付き合い始めて間もない頃、
子どもの保育園の運動会に参加したその足で、
私は彼女に会いに行ったことがある。

運動会の荷物を持ったまま。

前日から様子は明らかにおかしかった。
当日も連絡は少なかった。

けれど私は深く考えなかった。
会えば元に戻ると思っていた。

その日は謝って関係は続いた。

でも後に別れるとき、彼女は言った。

「あの日が決定的だった。
普通ならできないよ。
彼女にできる仕打ちじゃない」

私は何も言えなかった。

私は彼女の気持ちより、
自分の都合を優先していた。

最低だったと思っている。

さらに私は、当時職場にも
家族関係が終わっていることを伝えていなかった。

離婚を控えていることも、黙っていた。

だから私は、理想の家庭の父親のままだった。

その評価が彼女に届いていた。

私は見られ方を守りながら、
彼女には理解を求めていた。

それがどれだけ残酷だったか、
あとになって知ることになる。

気持ちは彼女を優先したい。
落ち込んでいたら、すぐそばに行きたい。
何度もそう言った。

けれど言われた。

「子どもを置いて来られるの?
できないことを言わないで」

その通りだった。

私は彼女の言っていることを理解していた。
むしろ理解できるからこそ苦しかった。

毎日帰るのは、彼女のもとではなく家だった。

優先したいと言いながら、
行動は伴っていない。

守ると言いながら、
何も守れていない。

いまこの瞬間、
自分を選んでくれていないという事実だけが残る。

すぐに家を出なければ、
関係は終わるかもしれない。

そう分かっていながら、動けない。

家を出られない現実が、
私をさらに追い詰めていった。

そして何より怖かったのは、
彼女が限界を迎え、
別れを切り出してくるその瞬間だった。

今日かもしれない。
明日かもしれない。

そう思いながら、
それでも私は家に戻るしかなかった。

覚悟を決めなければならないと知った日

運動会の日の出来事はあった。

彼女の様子が明らかに違っていたことも、
後になって大きな意味を持つことになる。

けれど当時の私は、
その重さを本当の意味では理解していなかった。

関係は続いていた。

私はまだ、
何かを失う現実を真正面から見ていなかった。

そんな中で行った最初の旅行。

二人で過ごす時間は穏やかで、
未来の話もした。

その空気の中で、彼女ははっきりと言った。

「離婚後、子どもには会わないでほしい」

私は言葉を失った。

面会は当然あるものだと思っていた。
父親なのだから、そういうものだと。

けれど彼女は続けた。

「面会に送り出す未来を、私は受け入れられない」
「私の両親はどう思うと思う?」
「あなたが子どもに会いに行くたびに、私は何を感じると思う?」

その言葉で、初めて気づいた。

私は「父親である自分」を前提に考えていた。

でも彼女から見れば、
それは“前の家族とのつながりが続く未来”だった。

それを受け入れることが、
どれほど苦しいかを、私は想像していなかった。

そのとき、はじめて選択が具体的になった。

子どもに会わない覚悟を持てるのか。

それとも、その覚悟が持てないまま彼女を失うのか。

それまでは、
「いずれ離婚する」
「いずれ一緒になるかもしれない」
という曖昧な未来だった。

でもこの話は、
“いずれ”では済まなかった。

数日後、彼女はその理由を話してくれた。

それは単に、
「前の人との子だから嫌だ」という話ではなかった。

「もし将来、私たちに子どもができたら」
「その事実を知ったとき、どう思うだろう」

「大好きなパパに捨てられた、って思うかもしれない」

「それなら最初から会わないほうが、
余計な傷を増やさないかもしれない」

彼女なりの、息子への優しさだった。

私はずっと、
会えなくなる自分の辛さばかりを考えていた。

でも彼女は、
息子の未来の感情を考えていた。

そのとき、はっきりと分かった。

これは条件の問題ではない。

覚悟の問題なんだと。

彼女と生きるなら、
中途半端ではいられない。

私はまだ、その重さを完全には飲み込めていなかった。

そしてもうひとつの現実があった。

彼女から何度か別れ話をされたことがある。

そのたびに私は引き止め、
関係は続いていた。

やり取りの流れで、
「あ、これは別れ話になる」と分かるようになっていった。

そんな時は、短い文章が、間をあけずに大量に届く。

バイブの音が鳴るたび、
胸がざわついた。

またかもしれない。
今日かもしれない。

私はまだ覚悟を決めきれないまま、
失うことだけを恐れていた。

その恐れが、やがて現実になるとは、まだ思っていなかった。

いまの状態は、長く続かない。

家を出られないまま、
彼女を選ぶ覚悟を口にする。

それは、
彼女を安心させるには足りなかった。

終わりは、
少しずつ近づいていた。

覚悟をきめたあとに始まった現実

子どもに会わない覚悟は、心の中でしていた。

それは離婚が成立したあとの話だ。
まだいまではない。

いま目の前にある生活は続いている。
家族としては、とっくに終わっていた。
けれど父親としての役割は残っていた。

お迎えに行く。
勉強を見る。
家事をする。

日常は、大きくは変わらなかった。

それが、いちばん歪だった。

二回目の旅行のあとだった。

二人で過ごす時間は、本当に楽しかった。
未来の話もした。

けれど帰る時間が近づくにつれて彼女の様子がおかしかったのが分かった。
家に帰ったあと、彼女の空気が変わった。こんなに楽しかったけど、家族のいる家に帰る私に冷めて現実に引き戻される感覚がすごかったようだ。私も同じだった。帰路で現実に引き戻される。

数日後、別れを切り出された。

そして言われた。

「家族のことを、子どものことをした手で触られるのが嫌だ」

逃げ場のない言葉だった。

私は嫉妬深い人間だ。
もし逆の立場なら、耐えられない。

彼女がそう感じるのは当然だった。

そのとき、はっきり分かった。

彼女はもう、
私が家族から手を引くことを望んでいる。

責めではなく、限界だった。

私は決めた。

家のことから、息子のことから、
できる限り距離を取ろうと。

けれど、それは簡単ではなかった。

私はその頃でさえ、妻に怯えていた。

離婚前から機嫌をうかがう立場だった。
離婚が決まってからは、なおさらだった。

妻の中では私に優しくする必要もなくなった。
言葉は鋭く、容赦がなかった。

お迎えを減らす。
勉強を見ない。
家事を縮める。

それはつまり、
妻に仕事を制限させ、負担を背負わせることでもある。

離婚までの約束に反するのではないかという葛藤もあった。

それでも宣言した。

当然、喧嘩になった。

妻の言葉は荒れ、空気は冷えた。

その中で役割を減らしていくのは、
とてつもない力が必要だった。

けれど彼女を思い出すと感じた。

彼女を何より優先したい。
妻に怯え続ける自分を終わらせたいと。

そこから少しずつ、私は家庭の役割から手を引いていった。

どうしても妻が仕事で動けないときだけ、
お迎えに行った。

それですら、
彼女に悟られないように必死だった。

私は常に、
誰かに怯えていた。

妻にも。
彼女にも。
そして、自分の選択にも。

その頃、私はもう一つの覚悟もしていた。

彼女と生きるなら、中途半端ではいられない。

父親として当然あると思っていた未来を、
自分の手で手放すことになる。

面会しないという選択。

それは彼女に言われたからではない。

彼女のせいでもない。

最終的に決めたのは、私だ。

彼女の気持ちを理解したうえで、
それでも自分が選んだ。

もう二度と会わない。

彼女と別れたとしても、
それでも会わない。

そう決めた。

彼女と続かなかったからやっぱり会いたい、
そんな都合のいいことはしたくなかった。

それでは、自分が選んだと言えなくなる。
選んだ以上、責任は私にある。

私は、自分で選んだ。

その重さを、理解したつもりだった。

けれど本当に始まったのは、そこからだった。

子どもに二度と会わないと決めた瞬間から、
毎日の時間の意味が変わった。

これまで私は、
「いずれ毎日会えなくなる」という恐怖の中にいた。

でもその日からは違った。

これは“減っていく時間”ではない。

自分で終わらせると決めた時間だった。

笑っている顔を見るたびに思う。

この時間は、
自分で終わりにすると決めた時間なんだ、と。

胸の奥が、じわじわと痛んだ。

それでも私は、彼女を選ぶと決めた。

中途半端はしない。

そう思った。

けれど現実は、
覚悟ひとつで整理できるほど単純ではなかった。

家族の中にいながら、
家族から離れていく。

父親でありながら、
父親である未来を手放すと決めている。この先、この子がどう育っていくかを知ることはない。
知りたい、関わりたいと思いながらも、それを手放すと決めたから。

その歪な時間が、
静かに、確実に私を削っていった。

離婚は、決まっていた。

それでも私は、まだ家の中にいた。

終わると決まっていた家族の時間は、
静かに、確実に減っていった。

そして私は、
その時間を自分で終わらせる覚悟を抱えたまま、
日常を続けていた。

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